E・H・カーの『危機の二十年―理想と現実』の感想(P22~29)~政治の世界における「事実」は変幻自在?~

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E・H・カーの『危機の二十年――理想と現実』 (岩波文庫)を読んでいる。

国際政治学の必読書としてよく挙げられる本だ。以前に読んだことはあるが、面白いので再読しているのである。国際政治や人間に関する鋭い考察の中で、シェイクスピアの作品のごとく、名言が次々と炸裂する。

P22~29まで読んだ。10ページに満たない中にもハッとするような言葉がいくつもあるが、その中の一部を紹介しよう。

健康を増進したいという目的が医学を生む。橋を建設したいという目的が工学を生む。政治体の疲弊を治したいという欲求が、政治学に弾みと刺激を与えたのである。意識しようとしまいと、目的は思考の先行条件である。(中略)「願望は思考の父である」という言葉は、人間の真っ当な思考の始まりを完全にいい当てている。

(『危機の二十年――理想と現実』P25 (中略)は当ブログの省略箇所)

ひと言でいえば、「欲から思考は始まる」ということなのだろう。医学も、工学も、政治学も、そこで語られる内容は難しいものが多いが、その発端は子供や学問のない大人でも理解ができるであろう素朴な欲求なのである。

スタバでMacを開き、ニューヨーク・タイムズの英文記事を読んでいる若い男の目的も、情報収集などではなく、店内にいる可愛い女の子から「きゃー、スゴいわ、カッコいい!」と思われたいという、くだらないものだったりする。つらつら考えてみても、願望そのものはシンプルなものだが、その実現手段は往々にしてテクニカルでアクロバティックになりがちだ(男が女を口説いて一緒にホテルに向かうまでの過程を思い浮かべてほしい)。

今回読んだ中では、続けて、自然科学と政治学のある違いについて説明される。それは「事実」に関するもので、自然科学が取り扱う事実は変えることが許されないが、政治学のそれは変えることが可能であるというものである。

この点は、次のように理解した。

自然科学では、例えば、「地球は太陽の周りを回っている」という事実は、事実として変えることはできない。しかし、政治の世界における事実は、人々の価値判断が分かち難く入り混じったもので、人々が判断を変えればそれらもまた変わる。例えば、アメリカは平和を守る「世界の警察」だと世界の多くの人々が考えれば、それが事実として成立する。しかしそれが、アメリカは各地で紛争を作り出す「世界のチンピラ」だという見方に変わると、それもまた事実として成立する。

人々の見方、判断が、政治的事実を作り出す以上、私たちの多くは政治を動かす一因になり得る。

政治的事実を構成するのは、政治学の専門家や有能な学研の見解だけではない。新聞の政治蘭を読んだり、政治集会に参加したり、隣人と政治談議をする人たちはすべて、それなりに政治学の研究生なのである。したがって彼ら一人ひとりが下す判断は(民主主義国ではとくにそうなのだが、どこの国でも、というわけではない)政治事象を展開させる一つの要因になるのである。

(同書P28)

『危機の二十年―理想と現実』の著者カーの頭の切れは半端なく、読んでいると自分まで頭が良くなったような気分になる一冊。実際、少しくらいは頭の切れがよくなるかもしれない。