E・H・カーの『危機の二十年―理想と現実』を読む(P67~70)~失敗に終わったパリ講和会議発の自由民主主義~

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引き続き、E・H・カーの『危機の二十年―理想と現実』(岩波文庫)を読み進める。

今回は、P67~70を読了。

内容は、十九世紀の西ヨーロッパでうまく機能した自由民主主義が、一度衰退し、第一次世界大戦後のパリ講和会議(1919)で再び世界に拡散されたが根付かずに終わったというもの。

失敗に終わった理由は、自由民主主義はどの時代どの国においてもうまく機能する普遍的な思想ではないから。

十九世紀の西ヨーロッパでは、自由民主義の種がうまく育つ社会的な土壌、気候が整っていたからうまくいったという。

十九世紀の自由民主主義は、限られた数の国家においてではあるが、目覚ましい成功を収めた。この自由民主主義が成功したのは、その前提条件がこれら諸国家の発展段階に適合したからである。

(『危機の二十年―理想と現実』(岩波文庫)P69より)

しかし、第一次世界大戦後の時代には、各国に自由民主主義に適した土壌、気候が整っていなかったのである。

自由民主主義の理論が純粋な知的営為によってある時代や国家に移植されたとき、その必然の帰結は不毛と幻滅であった。なぜなら、自由民主主義の理論が移植された時代・国家の発展段階や現実の要請は、十九世紀西ヨーロッパにおける発展段階や現実の要請とは全く違っていたからである。(中略)一九一九年の講和によって世界中に拡散された自由民主主義は抽象的理論の産物であって、それぞれの時代・国家の大地に根ざしたものではなく、したがってすぐに萎んでしまったのである。

(同書P70より。(中略)は当ブログによる省略)

植えた自由民主主義の種が育たないということがあるなら、育った自由民主主義の花が枯れるということもあるはずだ。

それはその国の土壌や気候、すなわち置かれた状況や環境が変化したときだろう。

今の日本も、中国の台頭やコロナの流行、財政不安などにより、国による各方面への統制を強化する方向へ少しずづ進んでいるように見える。

戦後長らく日本人が謳歌してきた自由民主主義は終焉を迎えつつあるのだろうか?

『危機の二十年―理想と現実』は、今後の日本を考える上でも大きな示唆を与えてくれる。