E・H・カーの『危機の二十年―理想と現実』を読む(P70~76)~国際連盟規約の理論的欠陥という長所~

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引き続き、E・H・カーの『危機の二十年―理想と現実』(岩波文庫)を読み進める。

今回は、P70~76を読了。

大まかな内容は、1920年に設立された国際連盟は、十九世紀の自由民主主義思想に由来する理屈によって、あたかも公式によって数学の問題を解くかのように国際政治上の複雑な問題を解決しようとしたために尻すぼみになった、というもの。

とはいえ、設立当初は国際政治の手段として期待できるかのように思えたようだ。しかもそれは国際連盟規約の理論的な不完全性ゆえだという。

つまり連盟規約には、いくつかの理論的欠陥はあったが、逆にそれらが実際には長所になっていたのである。

例えば、連盟規約はすべての加盟国を平等に扱おうとはしたが、大国に対しては連盟理事会での恒久的優位性を保証した。連盟規約は戦争を全く禁じたというわけではなく、合法的に戦争を行う理由ないし根拠に制限を加えようとした。規約違反国を制裁するという連盟加盟国の責任は、曖昧さを残していた。

(『危機の二十年―理想と現実』(岩波文庫)P72より。フリガナ等一部省略あり)

しかし、その後こうした規約の理論的不完全性を是正し、隙のないシステムを目指していくなかで、国際政治の手段としての有効性に疑問符が付くようになっていった。

様々な利害が複雑に絡み合った国際政治問題を抽象化し、あらかじめ用意されたルールに則って機械的に処理していくことには無理があったのだ。

連盟規約の不完全性、曖昧さゆえに、問題の処理に当たって人間の知恵が入り込む余地のあることがよかったのだろうと思う。

システムに対する過度の信頼と依存は、人間が現実の問題と向き合い、知恵を絞ってそれを解決しようとするチャンスを奪う。

国際連盟のシステムはいくら理論的完全性に近づいたとしても、それによって複雑な国際政治問題を解決できると信じるのは現実的とはいえなかった。

それはちょうど、密集市街地をその複雑性に対処するのに不十分な自動運転システムを搭載した車で移動しようとするものだろう。

現在でもそうだが、当時においても、国際政治問題を解決するためには、個別のケースごとに関係国の人間が知恵を絞る余地が大いに必要だったのだ。

これほど赤線を引いてしまう本は『危機の二十年―理想と現実』が初めてである。国際政治について考える上で必読の書とされるのは納得ができる。