引き続き、E・H・カーの『危機の二十年―理想と現実』を読み進める。
今回は、P60~67を読了。
内容は、近代のユートピア政治思想が登場した歴史的背景。
全体的な内容は自分にはやや難しいので、気になった記述について思うところを書いてみる。
自由主義の基盤について以下のように書かれていた。
世論は合理的に提起された問題については必ず正しい判断をするのだという信念――しかもこの信念は、世論とはこの正しい判断に従って行動するものだという考え方と結びつくのだが、――こそ、自由主義の本質的な基盤である。
(『危機の二十年―理想と現実』(岩波文庫)P64より)
これが自由主義の基盤であるなら、自由主義というのは思っているより脆いものなのではないかという気がする。
なにせ信念が基礎になっているのだから、それが揺らげば自由主義はやっぱりダメねという流れになりかねない。
そしてその信念を揺るがし得るのは、一見、自由主義の擁護者のように振る舞っているように思える、マスメディアなのではないかと思う。
新聞やテレビといったマスメディアは利益を確保する必要があるから、いつも合理的に問題を提起するわけではない。
合理的な提起が必ずしも読者や視聴者を喜ばすわけではないからだ。むしろでたらめさが彼ら、彼女らを喜ばすことも多い。
マスメディアによってでたらめに提起された問題に対して世論が誤った判断を下し、それに基づいて行動すれば、世論に対する信頼は揺らぐことになる。
しかも今は世の中が非常に複雑だから、問題の提起がでたらめなのかどうか、専門家も含めてほとんどの人にはわからないという状況もあっておかしくない。
そうすると、本当はでたらめに問題を提起したマスメディアに非があるはずなのに、世論がダメだと思われることになる。
自由主義を破壊するのは一見その擁護者であるかのように思えるマスメディアだというのは、皮肉である。
『危機の二十年―理想と現実』は、カー自身による名言――と自分には思われるのだけれど――と、それ以外に歴史上の多くの思想家、政治家らによる名言が多数引用されており、ページをめくるごとに心に刺さる言葉に出会える名著だ。