引き続き、E・H・カーの『危機の二十年―理想と現実』(岩波文庫)を読み進める。
今回は、P57~58を読了。
内容は、ユートピアンとリアリストの倫理に対する態度について。
ユートピアンは、非政治的で絶対的、普遍的であるとする倫理基準を持ち、現実をその基準に合わせようとする。
外国語学習でいえば、文法至上主義的な傾向があるのがユートピアンだ。
文法至上主義では、文法に合わない表現に出会うと、表現の方が間違っているとして、それを正そうとする。
しかし、実際は、言葉は必ずしもいつも既存の文法通りに使われるわけではないのが現実だ。
しかも言葉は時の経過とともに変化していく。
ユートピアンにとって倫理基準は普遍的なものだが、リアリストにとっては相対的なものだ。
リアリストの見解からすれば、ユートピアンの絶対基準は、本来社会秩序によって制約され規定されるものであり、したがって政治的なものである。道義は相対的なものでしかなく、普遍のものではない。倫理は政治の立場から説明されなければならないし、政治の外に倫理規範を求めても、それは必ず失敗する。
(『危機の二十年―理想と現実』(岩波文庫)P57~58より)
「政治的」というのは、「都合」と言い換えることもできると思う。
「人を殺してはいけない」というのは、ユートピアンにとっては「人を殺してはいけないから人を殺してはいけない」という普遍的な決まり事だろう。
一方でリアリストにとってみれば、「人を殺してはいけない」というのも政治的、つまり都合にすぎない。
人を殺してもよいと認めてしまうと、自分も殺されてしまうかもしれないので、それでは都合が悪い。
そこで「人を殺すのはとても悪いこと」という倫理基準が設けられる。
こう考えると、リアリストは、ユートピアンに比べて本能的、人間的で、正直であると見ることもできるかもしれない。
これで『危機の二十年―理想と現実』14章のうちの第2章まで読了。
第2章までですでに多くの学びがあった。本書を読めば、国際政治の現状、ニュースをより柔軟に見る目が養われると思う。