引き続き、E・H・カーの『危機の二十年―理想と現実』(岩波文庫)を読み進める。
今回は、(P54~57)を読了。
内容は左派と右派について。
カーによれば、理論の人である知識人は左派に引き寄せられ、実践の人である官僚は右派に引き寄せられるという。
面白いと思ったのは、「右派は悩む」という見方。
なぜ悩むのか?
本書では以下のように書かれている。
理論の人すなわち知識人は、左派に引き寄せられる。ちょうどそれは、実践の人すなわち官僚が当然右派に引かれていくのと同じである。したがって右派は理論に弱く、理念を手に入れることができないために悩むのである。
(『危機の二十年―理想と現実』(岩波文庫)P54より)
理念なきゆえに悩むというのはよく理解できる。
例えば、英検1級を取れば未来は明るいと信じる人は、それが事実かどうかは別として、日々の英語学習に関する選択において悩むことは少ないだろうと思う。
というのも、参考書や学習内容の選択に際し、明確な選択基準を有しているからだ。あれこれ悩まずとも、英検1級合格に適したものを半ば機械的に選んでいけばよいのである。
ところが、英検1級合格という目標のない学習者は、無数にある選択肢を絞り込むために、あれこれと悩んでしまうのだ。
こう書くと、左派が優れているように聞こえてしまうが、カーは左派の欠点を書き記すことも忘れない。
左派特有の弱点は、その理論を現実へと移し変えることができないことである。この欠陥はユートピア的性格に固有のものだが、左派はその欠陥を官僚のせいにしがちである。
(同書同ページより)
理想が実現できないことを実践家である官僚のせいにするという、未熟な傾向のある左派である。
ただカーが左派を全否定することはない。
左派と右派それぞれに、短所と長所がある。
リアリストである右派も、左派的な童心を忘れず、夢や理想を持つことを否定するべきではないのである。
とはいえ、左派は左派で、厳しい現実を前にすると、その童心を忘れてしまうようだ。
あるゆるところで歴史は次のことを証明している。すなわち、左派の政党ないし政治家は政権を獲って現実とかかわるようになると、「空論家的」ユートピア二ズムを放棄して右派へと転じていく傾向があること、しかも左派はしばしば左派のラベルをつけたままにしており、そのため政治用語の混乱に拍車をかけているということである。
(同書P57より)
左寄りの人も右寄りの人も『危機の二十年―理想と現実』を読み、それぞれの長所と短所を理解していくことは、無意味なレッテルの貼り合いで消耗しないために有用だろう。