『枕草子』を読んで考える二人の人間関係の縁が切れる理由

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以下は『枕草子』の一節です。 

則光はつねづね、「いっておくけど、おれにはぜったい、歌など詠んでよこさないでくれ。歌はかたきみたいなもんだ。もうこれをかぎりに別れようと思うときに歌をよこしたらいい。」といっていたので、返事に、

くずれよる妹背の山のなかなれば

さらによしのの河とだに見じ

(もう契った絆(妹背の山)もくずれてしまった間なのですから、ふたりの仲もこわれて、仲よしの吉野の河もながれなくなりましたね。)

と書いてやったが、ほんとうに見もしなかったのでもあろうか、返事もなかった。 その後昇官して遠江の介になり、縁も切れてしまった。

 (岩波現代文庫『枕草子』P86~87)

二人の人間関係において"それ”を否定してしまうと、二人の縁が切れてしまうというものがある。

”それ”は、言ってみれば、花における花托(かたく)のような役割を担っている。

そのことを知らずに、一方が軽い気持ちで"それ”を否定してしまったとき、二人の関係は終わってしまう。

何とも悲しいこと。

 

『現代語訳 枕草子 (岩波現代文庫)』を読んでいます。他の出版社の枕草子と違い、注釈が少な目で、原文も載っていないです。けど、その分、内容を追うのに水を差されることがなく、ストレスなく読めます。