『蘇軾 その詩と人生』(海江田万里著)の第5章を読んだ感想~蘇軾、何もない台所から中央政界へカムバックする~

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『蘇軾 その詩と人生』(海江田万里著)の第5章を読了しました。

蘇軾に好感の持てる理由の一つは、彼が東坡肉(トンポーロー、豚肉の角煮)を考案したことからもわかるように、飲食に対するこだわりがあり、それが作品にも生かされているからです。飲食のない人生は嘘ですから。

彼は飲酒は好きでしたが、飲める量はそれほど多くありませんでした。飲めても一合半程度だったようです。

また蘇軾は、『汲江煎茶』と題するお茶に関する詩も作っています。以下はその後半部分の日本語訳です。

抹茶の灰汁(あく)をよくかき混ぜて取り 白い乳のようにどろりとした状態にして

松風のような音を立てて煮えたぎるお湯を注ぐ

疲れた腸には三杯の茶で十分だ

さびしい城市(まち)で座って夜半の時を告げる太鼓の音を聴く

(P154 フリガナは一部省略) 

読むと、湯気の立ち昇る熱々のお茶の情景が目の前に浮かびます。この入れたてのお茶に、白いご飯とトンポーローがあれば・・・なんて考えるとただの食いしん坊です。

第5章の後半では、蘇軾が政界に復帰し、徐々に出世していく過程が描かれています。

彼は中国各地に赴任しますが、だいたい数ヶ月から数年で次の任地に向かわされます。登州(現在の山東省蓬莱県)の知事になった時なんかは、5日で開封に呼び戻されています。メールもファックスもない時代に5日で呼び戻せるの、という感じですが。

こうした地方勤務の任期の短さは、当時の決まりだったようです。

当時の官僚の地方勤務は長くても三年と決まっていました。一か所に長くいると、その地方で大きな権力を握ることにつながり、やがて中央政府も、その力を削ぐことができなくなってしまうという懸念からです。

(P168)

蘇軾は最終的に、礼部尚書(れいぶしょうしょ)と呼ばれる、今でいう文部大臣の地位にまで登り詰めました。事実上の流刑の地、黄州で畑を耕し、「何もない台所で粗末な野菜を煮る生活」からの見事なカムバックです。

世間的な価値観で見れば祝福すべきことですが、個人的にはロビンソンクルーソーが無人島からの脱出に成功したときのような名残惜しさを感じる第5章でした。

読むほどに蘇軾が好きになっていく本です。