『蘇軾 その詩と人生』(海江田万里著)の第3章を読んだ感想~宋のお国柄に命拾いした蘇軾?~

スポンサーリンク

『蘇軾 その詩と人生』(海江田万里著)の第3章を読了。

第3章では、蘇軾が詩や詞の創作に励んだ杭州赴任時代、太守に着任早々に発生した洪水災害を勝手に禁軍を動かす荒業で乗り切った徐州赴任時代、そして詩の中で新法党を批判したことで獄につながれた、有名な「御史台の獄」について記述されています。

第2章で書かれているように、宋は、文化が繁栄し、現代の中国文化の原型ができたような時代です。

また、建国の経緯からして血なまぐさい争いの少ない平和志向の王朝でもあります。中国史ではお決まりの激しい権力闘争や血なまぐさい戦争があまり前面に出てこず、豊かな文化が花開きました。

そういう意味で、中国史の負の面が濾過されたような感じで、美味しい面の際立つ時代です。

その宋のお国柄もあってか、蘇軾は改革推進派の新法党を詩の中で揶揄したことで、投獄され、死を覚悟した詩まで弟の蘇轍に向けて書いていますが、最終的には黄州への事実上の流刑というかたちで命拾いしています。

実は、宋の時代は一部の例外を除いて、裁判で政敵に死罪を申しわたす例はほとんどなかったことが、多くの歴史の事実から浮かび上がっています。

(本書P101)

宋の建国者、趙匡胤(ちょうきょういん)も、平和志向で争いを好まず、士大夫をその言論を理由に殺してはならない、という遺訓まで残しています。

全般的に、読んでいて宋王朝に対する好感度のアップする 第3章でした。近代化以前の中国の王朝の中でも宋は、比較的今の日本人がなじみやすい王朝の一つではないかと想像します。

ここに書いたこと以外にも、色々と面白いエピソードや豆知識的なものが多くあるのですが、すべてを紹介するわけにもいかないので、秘密となります。