『蘇軾 その詩と人生』(海江田万里著)の第2章を読んだ感想~怖いほど似てる宋と戦後日本~

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『蘇軾 その詩と人生』(海江田万里著)の第2章を読了。

第2章では主に、蘇軾に関することというよりは、高校世界史でも習う新法と呼ばれる王安石による急進的な改革について記述されています。

まず章冒頭で、評論家の堺屋太一氏による宋と戦後日本の類似性の指摘が紹介されますが、宋の末路を考えると他人事とは思えず暗い気持ちになります。

宋は、軍事の国ではなく、経済の国。都はそれまでの長安や洛陽ではなく、黄河ほとりの穀倉地帯である開封に置かれました。朝廷は禁軍と呼ばれる自前の軍隊を持ちますが、精強とは言えません。宋は、経済的には繁栄しましたが、西方の西夏や遼と呼ばれる異民族国家により国境はたびたび脅かされ、彼らに歳幣(さいへい)を払い、平和を金で買うようなことをします。

また、作家の陳舜臣氏による中国と日本の文化の源流に関する指摘も紹介されています。それによると、今の日本の伝統文化の源流が室町時代にあるように、中国では宋にその源流があるといいます。宋は平和志向でマッチョではないものの、経済的には繁栄し、文化の発展も盛んでした。

さらに、宋は創建から時が経つにつれ官僚機構が肥大化し、支出の増加による財政赤字に苦しむようになります。

そんな中で登場したのが王安石です。

彼は財政を立て直すために新法と呼ばれる各種の改革を試みます。しかし、それらはあまりに急進的で、高級官僚や豪商、富農などの既得権益層に打撃を与えるものだったので、彼らの反発を買います。こうして、高校世界史でもおなじみの、王安石の新法党と司馬光の旧法党という構図が出来上がり、敗れた王安石は宰相を辞任します。

こうした政治的な争いをしているうちに宋は内部から弱体化し、挙句の果てには異民族国家である金によって国の半分を奪われてしまうのです。

という感じで、「蘇軾どこ?」という感じの第2章ですが、彼は王安石の新法に反対という立場をとっています。ただ、政治的には両者は対立関係にあったとはいえ、お互いに詩を交換したりと文化的には認め合っていたようです。

王安石が国の再建のために始めた新法が、皮肉にも国を弱体化させることになりました。それももとはと言えば、財政難があったからということを考えると、財政難というのは国家の存亡に関わる大問題ですね。

結局金かあ、という印象を持った第2章でした。飾らない文章で読みやすいし、内容も深入りしすぎずストレスなく読めますよ。