論語と孔子のトリセツ『孔子』by金谷治を読んでみた感想。

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中国哲学専門の東洋学者、金谷治氏の『孔子』(講談社学術文庫)を読了しました。孔子の思想や生涯、彼の生きた時代背景などがまとまっています。いわば『論語』と孔子のトリセツ(取扱い説明書)です。

江戸時代の日本の儒学者、伊藤仁斎(いとうじんさい)は、『論語』を「最上至極宇宙第一の書」としたそうです。どんな本やねん、と思ってしまいますが、本書を読むと、『論語』も事実として眉唾な記述が混じり、けっこう不完全な書物だとわかります。

『論語』では目上の人や父母を敬いましょう、君子は争わない等々、日常的で素朴な倫理について書かれています。今の日本人にとっては当たり前すぎて、就業規則を延々と読まされているかのような退屈さがあるものの、中には「そうだよね」と思わず膝を打ってしまいそうな言葉もあります。

例えば、『論語』には、「勉強ばかりして思考がなければ何もはっきりしないし、思考ばかりしていても独断に陥って危ない」なんてことが書かれてあって、これは確かにそうです。

また、「父母の年齢は知っておくべき。そうすれば長寿や健康を喜ぶことができるし、老いや衰えを心配することができるから」というようなことも書かれています。「父母の年齢を覚えておくべき」というのは、超具体的な倫理的指南でおもしろいですね。

本書は、『論語』の中の孔子やその弟子の言葉の中で、特に有名なものや重要なものを取り上げて解説が加えられているので、『論語』を事前に読んでいなくても大丈夫です。

個人的に興味深く思ったのは、以下の指摘。

神の問題とならんで、『論語』にはまた自然についての言葉が驚くほど少ない。・・・(中略)・・・『論語』の全体は、おおむね人間と人間の社会とに関することばで埋まっているのである。自然に対する孔子の関心はきわめて薄かったようにみえる。

(『孔子』P47)

言われてみればその通りで、『論語』には人間やその生き方に関することばかり書かれていて花鳥風月がほとんどありません。人が生きる中で花鳥風月に触れてリフレッシュし、「イイ気分」になれば、孔子の教えるような倫理的実践もより行いやすくなると思うのですけど。と、考えるような人が、老子や荘子の方向に向かっていくのでしょうか?

上記の『論語』に関する指摘を読んで思い出したのが、意外にも魚類学者のさかなクンの以下の言葉でした。

ぼくは変わりものですが、大自然のなか、さかなに夢中になっていたらいやなことも忘れます。大切な友だちができる時期、小さなカゴの中でだれかをいじめたり、悩んでいたりしても楽しい思い出は残りません。外には楽しいことがたくさんあるのにもったいないですよ。広い空の下、広い海へ出てみましょう。(朝日新聞2006年12月2日掲載

『論語』も孔子も、欠点はあるでしょうが、それでも今の日本の社会にまで影響を与えており、良い意味でも悪い意味でも無視できない書物であり、人物です。思想家、孔子の余震が今も続いています。