根性による3ヶ国語学習者の日記

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蘇我石川麻呂ー世直し後に自害に追い込まれた飛鳥時代の西郷隆盛?

蘇我石川麻呂って何した人?

蘇我石川麻呂(そがのいしかわのまろ)を一言で紹介するなら、「大化の改新の功労者の一人」です。

大化の改新(乙巳の変)は、一種の世直しです。

もう少し具体的に言えば、当時権勢をふるっていた有力者、蘇我入鹿(そがのいるか)の暗殺に始まる一連の政治改革

これにより当時バラバラだった権力を天皇のもとに集め、一本すじの通った一人前の国になることを目指しました。

「蘇我入鹿暗殺計画」における蘇我石川麻呂の担当ー読むだけ。

この大化の改新の序章となる蘇我入鹿暗殺計画に協力したのが、蘇我石川麻呂。

計画の詳細は以下の通り。

・高句麗(こうくり)、百済(くだら)、新羅(しらぎ)の使者が貢物(みつぎもの)を納める儀式で、蘇我石川麻呂が天皇に対して文書を読み上げる。

 

それを合図に中大兄皇子(なかのおおえのおおじ)や中臣鎌足(なかとみのかまたり)らが出席者である蘇我入鹿を始末する。

蘇我石川麻呂が文書を読み上げ始めてもなかなか暗殺が実行されなかったので、彼はガクブルふるえだしたと言います。

((;゚Д゚)ガクガクブルブルタ 

そんな姿を見た暗殺のターゲットになっている当の蘇我入鹿は、「なんでそんなにふるえとるのん?」と汗びっしょりになっている石川麻呂くんに問いました。

一説には小便を我慢していたとありますが、というのはうそですが、彼はこう答えます。

「天皇の前でおそれ多くて、汗がでるんです」

こんなヒヤッとする場面もあったものの、蘇我入鹿は斬り殺され、クーデターは無事成功しました。

入鹿の暗殺後、功労者の蘇我石川麻呂は右大臣に出世

入鹿の暗殺後、蘇我石川麻呂は新たに即位した孝徳天皇(こうとくてんのう)のもとで、右大臣(朝廷ナンバー3の地位)に任命されます。

孝徳天皇は、石川麻呂の右大臣任命に際し、「おっしゃ、あんたの腕、こうとく!※」と叫んだと言われています。(うそです、言われてません)

※こうとく・・・関西弁で「買っておく」の意。

蘇我石川麻呂、弟の密告により失脚、妻子8人とともに山田寺で自殺

が、喜びも束の間、ある事件をきかっかけに蘇我石川麻呂は失脚、自害に追い込まれます。

出世した蘇我石川麻呂が妬ましかったのか、その異母の弟である蘇我日向(そがのひむか)が、石川麻呂が謀反を企んでいると中大兄皇子に密告するのです。

中大兄皇子は孝徳天皇に伝え、天皇は使者を石川麻呂のもとに派遣して、どういうことかと問いただします。

が、石川麻呂は、とりあえず天皇に会わせてくれ的なことを言うばかり。

孝徳天皇はこの願いを聞き入れず、兵を派遣。蘇我石川麻呂は、現在の奈良県明日香村にある自身が創建した山田寺に逃げ延びます。

そして、妻子8人とともに蘇我石川麻呂は自殺しました。

右大臣蘇我石川麻呂の裏の地位ーうざい臣

が、石川麻呂の自殺後に詳しく調べてみると、彼に謀反の企みなどなかったことがわかりました。

どうしてデタラメの密告から、大化の改新の功労者、蘇我石川麻呂は消されなければならなかったのか?

まずは異母の弟、蘇我日向の密告の動機について。

『日本の歴史2 古代国家の成立』 では次のようなことが推測されています。()の部分は当ブログ補足。

(蘇我日向は)「石川麻呂は、皇太子が海辺に遊覧にでかける時をねらって暗殺しようと考えている」と皇太子に訴えてでたのである。これは事実ではなかったようだ。日向は石川麻呂の弟であるが、兄の地位をねたみ、これを失脚させ、自分がとって代わろうとしたのであろうか。」

次に、この日向のデタラメをあっさり信じ、天皇に伝えた中大兄皇子の動機について。中大兄皇子にとって蘇我石川麻呂は、かつては入鹿暗殺計画の協力者でした。

同書から再び引用します。

「中大兄が、自分の妻の父でもあり、改新の最初からの協力者である石川麻呂の没落をのぞんだとはちょっと考えにくいことである。しかし蘇我氏打倒・親政開始という大事業をはじめる時こそ石川麻呂の勢力・人望が必要であったが、親政が一段落をつげたいまとなっては、石川麻呂の存在は中大兄にとって障害となりかねない。かれが皇太子として専制権力をふるおうとすると、石川麻呂がじゃまになるのである。」

要するに、右大臣蘇我石川麻呂は、クーデター後の周りの人間にとっては、もはやウザい臣だったのです。

蘇我石川麻呂と西郷隆盛の共通点

蘇我石川麻呂から思い起こされるのが、明治維新における西郷隆盛です。

彼は、明治維新に関し、木戸孝允、大久保利通と並ぶ維新の三傑と称されています。つまり、蘇我石川麻呂と同じように、社会変革における大功労者です。

にも関わらず、新政府成立後は要職に就くも、朝鮮政策をめぐる内部対立から、政界を引退。

その後は情勢に流されるままに、廃刀令や秩禄処分(いわば給与、年金の停止)に不満を持った士族の反乱リーダーの役割を引き受けることとなりました(西南戦争)。

西郷隆盛は不平士族を率いて新政府軍と戦い、最終的には故郷の城山で切腹したのです。

蘇我石川麻呂も西郷隆盛も、自らが活躍して作った新しい体制によって自害に追い込まれてしまうという、何とも皮肉な生涯を辿ったのです。

以下は、蘇我石川麻呂の生きた激動の時代について手早く知ることのできる漫画。一読をおすすめします。

角川まんが学習シリーズ 日本の歴史 2 飛鳥朝廷と仏教 飛鳥~奈良時代

角川まんが学習シリーズ 日本の歴史 2 飛鳥朝廷と仏教 飛鳥~奈良時代

 

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