引き続き、E・H・カーの『危機の二十年―理想と現実』(岩波文庫)を読み進める。
今回はP45~54を読了。
内容は、政治における理論と現実の対立。これは、知識人と官僚の対立として現れる。
知識人は、理論に現実を合わせようとする傾向があるが、社会における特定の利害に深くからんでいないので、比較的中立的、客観的となる。
しかしこの利点が同時に知識人の欠点となっている。
つまり、政治において大衆の態度が非常に重要であるにもかかわらず、知識人はその大衆から孤立しているからだ。
一方で官僚は、政治に対して経験的なアプローチをとる。
知識人のように原理原則を明らかにすることはせず、経験と直覚によって物事を進めていく。
官僚は、知識人のような理論派というより、行動派といえる。
語学習得でいえば、知識人は、文法を過度に重視する学習者で、官僚は、文法をさほど重視しない実践派の学習者のようなものだろう。
文法を重視する学習者には、その言葉の使い方のよし悪しの判断基準は、文法的に正しいかどうかということになる。
習った文法からはずれた言い回しに出会うと、その表現は間違っていて訂正されるべきものだと、その学習者には感じられる。
本書でも、知識人について次のように書かれている。
「民族自決」とか「自由貿易」とか、あるいは「集団安全保障」のような一般原則ともいうべきもの(リアリストはこれらすべてがある特定の状態・利益の具体的表現であると簡単に見抜くだろう)は、一個の絶対基準と考えられる。かくして政策のよし悪しは、その政策がどれほどこの絶対基準に合致あるいは相違するかによって判断されるのである。
(『危機の二十年―理想と現実』(岩波文庫)P46より)
理論派と行動派の対立というのは社会の様々なシーンで見受けられるから、以上のようなことはすぐ理解できるだろうと思う。
理論派は行動派を、「あなたのやり方は理論的に間違っている。正しくは・・・」と批判する。
それに対し行動派は、「それは机上の空論だ。世の中そう簡単にはいかない」と反論する。
いつまでも分かり合えず、溶け合えない、いわば頭脳派と肉体派の対立ともいえると思う。
『危機の二十年―理想と現実』は、ページをめくるごとに赤線をいくつも引いてしまう、中身の濃い良書だ。