引き続き、E・H・カーの『危機の二十年―理想と現実』(岩波文庫)を読み進める。
今回はP40~42を読了。
ここでは、ユートピアンとリアリスト、すなわち理想主義者と現実主義者のそれぞれの思考の特徴と欠点が述べられている。
ユートピアンは未来に関心の重点があり、意志の力を信じて物事を考えていく。一方、リアリストは過去を足場にしながら、因果関係によって思考する。
ユートピアンは現実を自らの考えに合わせようとするのに対し、リアリストは逆に、現実に自らの考えを合わせていく傾向がある。
両者は対立し、シーソーの両端となって揺り動きながら、いつまでもバランスすることがない。
比喩的にいえば、ユートピアンは「自分の着たい服」という「理想」に「自分の身体」という「現実」を合わせようとする。それに対しリアリストは、「自分の身体」に「服」を合わせるのだ。
どちらが優れているかという問題ではなく、ユートピアンとリアリストはそれぞれに欠点がある。
ユートピアンは現実に対する理解が乏しく、リアリストは現実に対して妥協的でそれを変えていく力に欠けるのである。
完全無欠のリアリストは物事の因果関係を無条件に受け入れるので、現実を変えていく可能性を否定してしまう。完全無欠のユートピアンは因果関係を拒むので、彼が変えようとしている現実、あるいは現実が変えられていくプロセスを理解することができないのである。ユートピアンの典型的な欠陥は無垢なことであり、リアリストのそれは不毛なことである。
(『危機の二十年―理想と現実』(岩波文庫)P41~42より))
例えば、人生の岐路にある子供と、その親との意見の衝突もユートピアンとリアリストの対立の一つと見ることができるだろうと思う。
歌手になる夢を持った子供が、中学を卒業したら音楽学校へ進学すると主張する。
それに対し、現実の厳しさを知る親が、「何を言うか、歌手になって食べていくには才能が必要で、誰にでもできることではない。高校に進学しなさい。それがお前のためだ」などと言って反対する。
ここでは子供がユートピアンで、親がリアリストだ。
子供は歌手になる夢しか頭になく、親はあくまで現実に妥協することを考える。互いに理解し合うということができず、激しい衝突となる。
こういう例を考えると、一見、リアリストの方が現実的、常識的で優れているように思われる。
しかし、世の中の人間がすべてリアリストになってしまったら、きっとその社会は生気を欠いていくことになるだろう。
自分はちょっと理想主義的過ぎるという人にも、現実主義的過ぎるという人にも、『危機の二十年―理想と現実』はおすすめだ。