マーク・ピーターセン『続 日本人の英語』の「スペインの雨―定冠詞 the」のパートを読了。
theの理解は、日本人には難しい。が、少なくともその基本は比較的わかりやすい。
theが使われる前提としてあるのは、「the+名詞」によって、お互い(話し手と聞き手、もしくは書き手と読み手)、具体的に何を示しているのか了解している、ということだ。
例えば、「月」を意味するmoonは、世界でただ1つしかないので、会話でいきなりthe moonのかたちで登場させて構わない。なぜなら、そのthe moonが具体的に何を示しているかは誰にでも明白だからだ。
しかし、普通、「男」を会話でいきなりthe manのかたちで登場させてはいけない。世の中には無数の「男」がいるので、相手がその中のどの男か了解していない限り、a manで登場させるのが普通だ。話を続け、a manの具体像が相手に了解されたら、以降the manとすることができる。
面白いと思ったのは、the JapaneseとJapanese peopleの違いについて解説した部分。
いずれも多くの場合「日本人」と訳されるが、英語ではそれぞれそこに込められた「日本人に対する態度」が違うとする。
具体的には、the Japaneseの方は、日本人ひとりひとりの違いを無視してひとまとめにした言い方だという。アメリカ人(特にマスコミ関係)は同国人のことをそれぞれの違いを意識したAmericansと表現するが、日本人についてはthe Japaneseとしがちであるようだ。
(・・・)”the Japanese”という表現には,すべての日本人を,一人残らず,一つのものとして取り上げて構わない,それぞれ個人の差があるとは思わなくてよい,という前提がある.これは,日本人もアメリカ人も同じ人間集団という常識があるにもかかわらず,平気で使われる表現であるので,「愚かさによる前提」と言ってもよいであろう.
(マーク・ピーターセン『続 日本人の英語』P20 (・・・)は当ブログによる省略)
自分は個人的に、このtheを「じっぱひとからげのthe」、「パッキングのthe」と名付けた。それぞれ味も形も微妙に異なるトマトを、ひとパックにまとめて「トマト」とするイメージである。
このようなイメージで考えると、the Japaneseは「日本人」、Japanese peopleは「日本の人々」といった感じだろう。すると日本語では、「日本人」、「アメリカ人」、「中国人」というのが一般的であるから、自国民であれ外国人であれみんなじっぱひとからげである。
今回読んだ「スペインの雨ー定冠詞 the」の最後の部分が胸に刺さった。
”the Japanese......”と”Japanese people......”とは,その表現によって与えられる印象がまったく違う.また,その表現を使う人間の態度の違いも明らかになる.英語のリアリティでは,「定」と「不定」との間には,単なる抽象的な,文法的な違いしかないというわけではないのである.
(同書P23)
この記事では紹介していないが、「スペインの雨ー定冠詞 the」では始めに「rain in Spain」、「a rain in Spain」、「the rain in Spain」のそれぞれの違いが説明されている。興味のある方は『続 日本人の英語』でお楽しみください。