マーク・ピーターセン『日本人の英語』、パート20の内のパート16を読了。
パート16は、受動態と能動態について。
主に、日本人の英語の学術論文に多い受身表現の、問題点について述べられている。受身表現を使うと、表現として弱腰に見えたり、責任回避の印象を与えたりすることがあるという。
本書では、以下の例が挙げられる。
The following results of this experiment were obtained:......(この実験で次のような結果が出た.)
(マーク・ピーターセン『日本人の英語』(岩波新書)P140)
受身表現によるこの例文を著者は、「弱々しい英文」とする。そして、より自信に満ちたものにするため、以下のような能動態の英文に書き換える。
We obtained the following results in this experiment:......
(同書P141)
『理科系の作文技術』木下是雄(中公新書)という本では、日本語の理科系文書では受身表現をなるべく控えた方がよいとする。ピーターセン氏は、英語の理科系文書においてもそうだと賛同する。
木下氏は,英文の受身はともかく,「日本語の文は受動態で書くとひねくれて読みにくくなる」ところや,「能動態で書くと,読みやすくなるばかりでなく,文が短くなる場合が多い」,また,主体もはっきりしてくるというところなどを指摘する.「そういうわけで私は,理科系の仕事の文書では受身の文は少ないほどいいと信じ」ていると述べるが,私は英語の場合も,理科系の仕事の文書になると,まさに同じことがいえると信じている.
(同書P141)
先の英文の例を見ると確かにそうである。
しかし、We obtained...よりはwere obtained...という受動態の書き方のほうが、日本人と親和性が高いだろうとは思われる。日本語では主体は省略されがちだし、場合にもよるが、比較的控えめな表現が好まれる。
ただ、「思われる」、「思い出される」の宝庫の『源氏物語』の作者、紫式部が、理科系の文書を書いたら大変読みにくく、いくらか問題も生じるだろう。
要は、限度の問題である。
『日本人の英語』では続いて、受動態を使った責任回避的に見える英文の例を挙げる。
It is thought that scientists may be considered to be under the absolute obligation never to forget environmental issues.(科学者は絶対に環境問題を忘れてはいけない義務があると考えてもよいように思われる.)
(同書P142)
著者は、文法的には問題はないものの、弱腰であり、英語の論文としてはよくないとする。そして、次のように書き換える。
I think scientists must never forget environmental issues.
(同ページ)
『日本人の英語』では、英文のこうしたビフォーアフター芸が多く登場するが、その中でもこれは最も気持ちの良い例の1つである。
I think...の方は、素直に書きすぎて稚拙(ちせつ)(日本の高校生が自由英作文で書きそう)に見えないこともない。
けれど、例文の主張の理由がその前後で説得力をもって述べられているなら、稚拙だと思われる心配をする必要はないだろう。
説得に関して自信のない書き手が、大仰で読むにまどろっこしい書き方に逃げるのだ。
本書では受身表現の欠点として他に、主語と述語が離れすぎてしまう点を挙げている。この問題についても例文とともに本文で解説されているが、続きは『日本人の英語』でお楽しみを。