悪女で有名な唐の則天武后が皇帝に即位して張兄弟など多くの愛人を持ったのはなぜか?

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今日头条というアプリの艺述史というチャンネルで、中国の武則天について解説した動画を視聴。

武則天(則天武后)は、中国の歴史上唯一の女帝である。夫の高宗が崩御すると続けざまに自分の息子を廃位し、自ら皇帝の座について国号を周に改めた。帝位についたのは、彼女が67歳の時のことである。

動画では、武則天が多くの愛人を持ったのはなぜかを分析している。代表的なのは、薛懐義(せつかいぎ)、張宗昌(ちょうそうしょう)、張易之(ちょうえきし)といった者たちだ。

解説では、彼女が多くの男の愛人を持ったのは、これまでの皇帝に劣らないことを証明するため、そして男尊女卑の考え方に異を唱えるためだという。

「過去の皇帝が擁したものは、わたしも擁する」、と。

また、夫の寵愛を失い、晩年には政務に追われていた武則天は寂しや孤独も感じたにちがいない。そんなわけで、男たちは簡単に彼女の信頼を得ることができたのである。武則天の娘である太平公主(たいへいこうしゅ)は、母の機嫌を取るため、続けざまに美男を送ったという。

多くの愛人を持ったのは、政治的なねらいもあったと、解説者は続ける。一歩一歩皇帝の座へとのぼっていった彼女は権力を掌握する難しさを知っていた。朝廷には政敵も多い。武則天は、自らの統治を強固なものにするため、愛人たちの力を借りて政敵を排除したのである。

しかし、彼女には思いもよらないことに、愛人たちは朝廷をひっかき回していく。彼女が病床に伏すと、日頃から愛人の存在を目障りに思っていた大臣たちは彼らに報復し、彼女を皇位から退かせた。

後世の武則天に対する評価は、両極化している。

文学作品では、彼女が多くの愛人を擁したことについて悪しざまに描かれる。しかし、過去の歴代皇帝が多くの妾を持ったにもかかわらず、なぜ同様に皇帝の位についた彼女については論争が起こるのだろうか、という問題提起をもって動画は締めくくられている。

→日本の持統天皇にしてもそうだが、武則天の一連の悪辣な策略は非難の的となっている。

けれど、当時の男尊女卑の常識の下で皇帝になろうとすれば、どうしても悪辣な手段に頼るしかないというのはあると思う。

ただ、武則天は、高宗の皇后である王氏を失脚させるために自分の赤ん坊を締め殺しているが、これはやりすぎだろう。ちなみに、武則天はもともと高宗の父である太宗の女。つまり高宗は、自分の父の女を自分のものにした。どないなっとんねん。

そんな彼女の刺激的な人生は講談社学術文庫の『則天武后』で知ることができる。気になる方はどうぞ。 

 

参考:「今日头条「艺述史【武则天登基时67岁了,咋还有心思养男宠?并非是一己私欲】」