三国志の時代、劉備、曹操、孫権の中で誰が一番リーダーシップがあったか?中国、精華大学教授が熱弁。

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今日头条というアプリの人文清华というチャンネルで、精華大学の張国剛という古代中国史を研究する教授に対するインタビュー動画を視聴。

内容は、三国時代の劉備(りゅうび)、曹操(そうそう)、孫権(そんけん)の内、最もリーダーシップがあるのは誰かというもの。

冒頭、インタビューアーが上記の質問をすると、張氏は、「みんな当代の英雄で、それぞれ特徴があり、優劣はつけがたい」と答える。

魏の曹操の強み

まず魏の曹操は、人的ネットワークに恵まれていた。彼の父は大尉であり、祖父は宦官(かんがん)だった。彼らのおかげで曹操は広く人脈を築くことができた。蜀の劉備はこの点では恵まれていなかった。人脈に恵まれた人は他にも多いが、曹操は文武両道でもあった。文については、曹操、曹丕、曹植の三曹の1人として、彼は気概のある優れた詩を残した。武では、孫子の兵法の注釈をしている。人使いもうまい。

→三国志のドラマなどでは、曹操は、政治的才能のある狡猾な輩という面が強調されがちだが、実は、文学的才能にも恵まれている。

曹操は、屯田制など政治家としての革新性や、軍事指揮官としての有能さに目が奪われがちです。しかし、文学者としても一流で、さらにその文学を政治にきっちり利用しているという点においても、類まれな人物であったことがお分かりいただけると思います。

(渡邉儀浩『100分de名著 陳寿 三国志』NHK P58)

最近では、『曹操・曹丕・曹植詩文選』(岩波文庫)という本が発売された。買いたくなるから、こういうタイトルの本はやめてもらいたい。

蜀の劉備の強み

蜀の劉備の生まれは、曹操のようには恵まれていなかった。彼は露天商であり、西暦207年に諸葛亮(しょかつりょう)に会うまでずっと他人のお世話になっていた。しかし、関羽、張飛、趙雲といった一流の人材を抱き込む能力に長けていた。戦(いくさ)は駄目だが、思いやりと人を見る目に強みがあった。

→史実かどうかは不明だが、配下の趙雲が命がけで救ってきた劉備の息子阿斗(あと)を、劉備が投げ捨てたエピソードで「思いやりの人」のイメージにやや傷。ただ、曹操も孫権も虐殺を行っているが、劉備にはその記録がないという。

呉の孫権の強み

呉の孫権は、18歳で位を継ぎ、老臣らを服従させた。徐々に自らの部隊を築き、江東において事業を成就させた。フットワークが良く、才能を隠して外に表さない。帝を称したのも彼が最後だった。

→三国志のドラマを見る限り、3人の中ではいちばん地味で退屈な存在。実際、語るべきものが少ない人物なのか、張氏もあまり多く語らない。ただ、孫権が9歳のとき、父の孫堅(そんけん)が劉表にはめられて殺されたとき、ひとりで使者として敵陣に赴き、交渉して父の亡骸を取り返したエピソードは、けなげで印象的(ドラマ『新三国』)。

一生に一度は読みたい三国志本

日本では、三国志というと横山光輝の漫画『三国志』や吉川英治の小説『三国志』、あるいは三国志関連のゲームを思い浮かべる人がほとんどです。

しかし、これらの作品群の元にあるのは中国の四大名著(あるいは四大奇書)の一つ『三国志演義』です。

古典で長大な作品なので、読み通すのは大変ですが、この作品を読めば、本場の中国においても、真に三国志を読んだと胸を張って言うことができますね。

もっといえば、『正史 三国志』というオフィシャルな中国の歴史書がありますが、ここまで手を伸ばせば、もはや三国志オタクと言えるでしょう。

 

参考:今日头条 人文清华X辞海计划:刘备,曹操,孙权谁更有领导人?