後漢から三国時代を経て西晋による中国統一までの人口減少幅がヤバい

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今日头条(中国)というアプリの艺述史というチャンネルで三国時代の実体について解説した動画を見ました。

三国志コンテンツの影響を受けて、ディズニーランドに行く感覚で、三国時代に行ってみたいと思う人は多いかもしれません。しかし実際の三国時代の中国は、ディズニーランドのように華やかな場所ではないし、ドラマの如く勇壮な音楽が流れているわけでもありません。むしろ、暗く、凄惨な時代といった方が実態に近いでしょう。

動画では、至る所に白骨があって鼻を突く腐臭がし、空には多くのカラスが旋回している、そんな時代であるとします。そして、当時の状況を描写した、魏(ぎ)の曹操(そうそう)による蒿里行(こうりこう)という詩の一部を紹介しています。

铠甲生虮虱 戦(いくさ)続きで、よろいかぶとにはしらみが湧き、

万姓以死亡 多くの人が死んだ。

白骨露於野 白骨は野にさらされ、埋葬する人もおらず、

千里无鸡鸣 見渡す限り人影はなく、鶏の声も聞こえない。

(日本語訳は当ブログ)

後漢末から西晋の中国統一まで争いは絶えず、戦中は都市の人民を皆殺しにする習慣がありました。例えば、曹操が陶謙(とうけん)を攻めたときには、五つの都市で老若男女を問わず、鶏や犬まで皆殺しにしました。呉(ご)の孫策(そんさく)は東治で、その弟の孫権(そんけん)は江夏で虐殺を行いました。ただ、蜀(しょく)の劉備(りゅうび)には虐殺の記録がないといいます。

そのような時代にたとえ運よく生き残ったとしても、自然災害による命の危険も待っています。史書によれば、後漢の晩期100年ちょっとの間に、水害54回、干ばつ40回、疫病18回、地震69回、蝗害(こうがい:イナゴ等による農作物への被害)29回、異常気象41回があったとされます。飢えにより、人が人を食う状況もよく見られたと、動画は続けます。

人口は、後漢の最も多い時期で約6500万人でした。しかし、三国時代を経て西晋によって中国が統一される頃には、3000万人ほどに減少しています。

羅貫中による『三国志演義』は、7割が史実で3割がフィクションとされます。その中で、劉備が呂布に追われて劉安にかくまわれるエピソードがあります。そのとき劉安は食べ物がなかったため、妻を殺してその肉を劉備に食べさせました。当時の現実を知ると、そういうことがあっても不思議ではないと思われます。

三国時代の実像を知るには、オフィシャルな歴史書である『正史 三国志』がよい資料です。絶版になる前に手に入れておきたい貴重な訳書です。

 

参考:今日头条「艺述史【穿越到三国会经历什么?抛开小说电视剧,怎一个惨字了得】