後漢末期や魏、呉、蜀の内乱の時代にも周辺異民族との戦いがあった?

スポンサーリンク

今日头条(中国)というアプリの艺述史というチャンネルで、中国、三国時代の異民族との戦いについて解説した動画を見ました。

後漢末や三国時代の内乱はよく知られていますが、周辺異民族との戦いについてはあまり聞きません。けれど、当時も周辺異民族との争いはありました。

動画では、まず李傕(りかく)と郭汜(かくし)が長安城で騒ぎを起こした頃のことを挙げます。その混乱のさなかでも、匈奴(きょうど)は、大挙して侵略して来ることはなかったですが、しばしば奇襲をかけてきました。そして漢の人間を誘拐し、奴隷にしたりします。女性詩人の蔡琰(さいえん)は、このとき匈奴に拉致されました。

興平年間(194年-195年)、董卓の残党によって乱が起こると、蔡琰は匈奴の騎馬兵に拉致され、南匈奴の左賢王(去卑か。異説に劉豹)のもとに留め置かれた。匈奴に12年住む間に、胡人とのあいだに子を2人をもうけた。

蔡琰 - Wikipediaより)

魏の曹操は、のちに南匈奴を服従させて北方を統一します。そのときに蔡琰を帰国させました。

Wikipediaの同項目には、次のようにあります。

建安12年(207年)、父と親交のあった曹操は蔡邕の後継ぎがいないことを惜しみ、匈奴に金や宝玉を支払って蔡琰を帰国させた。帰国時に実の子を匈奴に残しており、子との別離に際しの苦痛を詩に述べた。

劉禅(りゅうぜん)の蜀では、益州の漢族が少数民族と結びクーデターを起こします。諸葛亮は2、3万の兵を率いてやすやすと鎮圧したと動画では語られています。

同様に呉も、南方の部族を平定しています。呉は後期になると、その部隊に占める異民族の割合は大きくなっていました。

動画ではさらに、三国時代の異民族の平定で一番活躍したといえるのは、魏の武将、毌丘倹(かんきゅうけん)だとします。遼東(りょうとう)一帯にあった高句麗(こうくり)は、しばしば魏を脅かしました。そこで曹操は、毌丘倹らを派遣し、これを鎮圧させています。朝鮮半島は平定され、魏は多くの土地を得ます。

どうでしょうか、後漢末期と三国時代の内でのがちゃがちゃは有名ですが、外とも戦っていたのですね。その外とのがちゃがちゃエピソードを集めて、『辺境三国志』みたいなのができると面白そうです。

先に出てきた蔡琰(さいえん)のエピソードは、前漢7代皇帝、武帝の時代の張騫(ちょうけん)のエピソードを思い出させます。

武帝は西方にあった大月氏国と手を組んで匈奴を挟撃しようと張騫を派遣しました。張騫は途中で匈奴に捕らえられ、拘留されます。その地で妻を得て子供ができますが、のちに脱出を試み、成功しています。その拘留期間は10年以上にわたったといいます。

匈奴と中国の古代王朝の攻防を詳しく知りたい方は、横山光輝の漫画『史記(10)』が面白いです。そんなお子様の本は読めねぇという方は、講談社学術文庫の『興亡の世界史 スキタイと匈奴 遊牧の文明』があります。

 

「今日头条「艺术史【三国时中原打成一团,为何没有外族趁机入侵?看看谁在镇守边疆!】」