匈奴は分裂して子孫は現在の中国にいる?

スポンサーリンク

今日头条(中国)というアプリの艺述史というチャンネルで、中国史に登場する匈奴(きょうど)の正体について解説した動画を見ました。

匈奴は、高校世界史でお馴染みの、古代中国の北方騎馬民族です。彼らは古代中国の王朝を悩ませ、世界史の教科書にもあるように、秦の始皇帝が修築した万里の長城も匈奴の侵入を防ぐためのものでした。

当時北方では, 騎馬遊牧民の匈奴が力をのばしていたが, 秦は戦国時代以来各国が建設していた長城を修築して匈奴の侵入に対抗した。

(『新世界史B』(山川出版社)P69)

秦に続き、高祖劉邦が建国した漢の時代になっても、匈奴は悩みの種でしたが、武帝によって討伐されます。

漢の高祖は匈奴に敗れて和親策をとったが, 武帝は匈奴勢力を北方に退け, オアシス地帯にも進出した。このため匈奴は内陸貿易の利を失って衰え, 前1世紀中頃, 東西に分裂した。

(同書P74)

この武帝の功績ゆえか、今の中国でも、歴代皇帝の中で漢の武帝はかなり人気があります。強硬姿勢の武帝は、今のロシアのプーチン大統領のようなイメージですね。

動画によれば、記録上は、中国最古の王朝とされる夏王朝の時代にすでに匈奴の存在が認められますが、当時は葷粥(くんいく)と呼ばれていたとされます。そして戦国時代に至って、匈奴と言われるようになります。

中国の古代王朝がなぜ匈奴に悩まされたかというと、彼らのその好戦性、侵略性のためです。騎馬民族として、彼らは折に触れては争いました。

ただ、彼らは単一民族ではなく、モンゴル族を主体とした、複数の民族の集合体だったといいます。そのため、内部の矛盾が激しく、しばしば争い合っていました。

漢王朝との戦争で衰退した匈奴は、のちに北匈奴と南匈奴に分裂します。そして南匈奴は、後漢の後ろ盾で北匈奴を打ち負かします。勝った南匈奴は漢化されていきますが、北匈奴の一部は遠くヨーロッパまで移住し、東ヨーロッパの祖先となったといいます。

このように、匈奴は歴史上から突然消えたのではなく、徐々に他の民族に溶け込んでいきました。だから、ひょっとすると、あなた(中国人)の身近に匈奴の血を引いた人がいるかもしれません、と動画は締めくくられています。

匈奴と中国の古代王朝の攻防を詳しく知りたい方は、横山光輝の漫画『史記(10)』が面白いです。そんなお子様の本は読めねぇという方は、講談社学術文庫の『興亡の世界史 スキタイと匈奴 遊牧の文明』があります。

 

参考:今日头条「艺述史【动不动侵略中原的”匈奴”,到底是哪个民族?后代都去哪了?】」