古代中国の皇后や妃は香辛料の花椒を暖房にして寒さをしのいだ?

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冬は早朝。雪がふりつもったら、なおさらだけれど、霜のまっ白におりた朝もよい。そうでない朝でも、たいそう寒いなかを、火などいそいでおこして炭を持ちはこぶさまはいかにも冬らしい。昼になっていくらか寒さもゆるみ、火ばちの炭火が白く灰になるころはわびしい。

(大庭みな子『現代語訳 枕草子』(岩波現代文庫)P1)

これだけ読むと、ひと昔前の日本の日常的な風景を描写したものに思ってしまいそうです。でもこれは平安時代(794~1185年)の清少納言による作品の一節ですから、今から1000年ほど前の風景なんですね。当時、すでに火ばちを使って暖を取っていたことがうかがえます。

一方、それよりさらにずっと昔の、違う場所、古代中国ではどのように暖を取っていたのでしょうか?

面白いのを1つ紹介すると、それは今の中国でもよく使われる香辛料、花椒(かしょう)を利用した方法です。花椒は、日本でおなじみの山椒の仲間で、しびれるような辛さを持った香辛料です。中国では、麻婆豆腐や、一種のスープ料理である麻辣湯(マーラータン)によく使われます。

さて、古代中国の人たちはこの花椒を使い、どのように冬の寒さをしのいだのでしょうか?

実は、粒状の花椒をすりつぶし、泥と混ぜ合わせてそれを部屋の壁に塗りつけたのです。このスパイシールームは、椒房(しょうぼう)と呼ばれます。椒房については、後漢末期の政治家、応劭(おうしょう)による『漢官儀』という著作に記されています。

ただ、椒房は一般庶民の間で普及していたものではなく、皇帝が皇后やその他の妃たちに特別に用意したものです。だから椒房は、皇后や妃の別名として使われることになります。

山椒の仲間である花椒よりも、唐辛子を使った方が暖かそう、と思われるかもしれません。でも実は、唐辛子は中国原産の香辛料ではなく、明の時代(1368~1644年)に国外から伝来したものなのです。後漢の時代(25~220年)よりもだいぶ後のことですね。

椒房から、当時の人々が知恵を絞って、寒さをしのぐ工夫をしていたことがうかがえます。

では、後漢と明の間をとって(618~907年)唐の時代を考えてみましょう。世界三大美人のひとりとされる楊貴妃(ようきは)は、どのように暖を取っていたのでしょうか?彼女の最大の防寒ツールは、もしかすると、その体脂肪だったかもしれません。美人として有名な彼女は、実はわりと太っていたといわれています。

貴妃に立てられてからの宮中での話であるが、生来暑がりだった彼女は夏はいつも軽いうすものの衣を着ていた。しかし侍児がかたわらから一生懸命に扇で風を送っても一向に涼しくならない。そこで皮膚から汗が流れ出るのを見ると、それはまるでピンク色のローションのようであり、しかもすごくよい香りがした。

(村山吉廣『楊貴妃 大唐帝国の栄華と滅亡』P48)

中国文化に関するおすすめの本

最近では、中国古代の日常生活を細部にわたって明らかにした『古代中国の24時間-秦漢時代の衣食住から性愛まで』(中公新書)という面白い本が発売されました。興味があれば、読んでみてください。

今回の記事で紹介した花椒を一度口にしてみたい方は、豆腐などの材料は自身で用意する必要がありますが、ヤマムロの『陳麻婆豆腐』が比較的お手軽でおすすめです。