佐藤浩市が若い頃に主演した映画『敦煌』は司法試験受験生が観てはいけない物語

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ネタバレ含みます。

井上靖の小説が原作の映画『敦煌』を観ました。日本と中国の合作映画で、舞台は北宋時代(960~1127)の中国大陸。主演は、俳優の佐藤浩市です。1988年の映画なので、現在の年齢から考えると当時の彼は20代後半。映画内で彼の所属する部隊の隊長として、西田敏行も登場します。

北宋時代の話で、佐藤浩市が演じる主人公の趙行徳(ちょうぎょうとく)も北宋の人間です。しかし、映画内では北宋という王朝の影は薄いです。むしろ当時北宋を脅かしていた西方の国、西夏(せいか)を中心に描かれています。西夏というと高校世界史でちらっと登場し、中国の主要王朝の脇に現れる添え物のパセリみたいな国というイメージだったのですが、この映画を観て結構そのイメージを崩されました。映画では、飛ぶ鳥を落とす勢いの新興強国として描かれます。

この映画は、主人公の趙行徳が、科挙という難関ペーパー試験の世界(書物の世界)から抜け出し、現実の世界を力強く生き抜いていく物語です。科挙受験といえば、当時としては社会的に正解とされる、人生のお決まりコースです。今でいえば、東大受験、司法試験受験みたいなイメージ。冒頭、趙行徳はその試験の最終試験(口答試験)にめでたく落第します。その後、彼は街角で身売りされている西夏の女(三田佳子が演じる)を救ったことをきっかけに、科挙の勉強を放り出して西方に旅に出ます。

主人公趙行徳は、北宋社会に敷かれたレールから外れ、旅に出た。物語の冒頭としてはよくありがちですが、そこから趙行徳の人生は、風圧で顔が変顔になるくらいのジェットコースターです。苦しい分、人生の果実も味わいます。

科挙受験を放り出した趙行徳はその後どうなったのでしょうか?

まず、西方への旅の途中、西夏の漢人部隊に捕まり、その部隊の兵士となります。兵士となれば当然、戦(いくさ)に出ることになります。趙行徳は西夏の兵士として馬に乗り、戦います。現代的なイメージでいえば、司法試験合格をあきらめ、故郷を離れ、工場労働者としてきつい肉体労働に励む、といったパターンでしょうか。普通ならこの時点で、「母国の北宋で大人しく勉強してればよかった」と思うはずですが、彼の素振りにそれほど後悔の念は感じられません。

次に趙行徳は、人生の果実の甘い部分にありつきます。

西夏のウイグル攻略に参加し、西夏兵士としては敵であるはずのウイグル王女ツルピア(もちろん美人)をかくまう趙行徳。

ツルピア「なぜ?なぜわたしを助けた?」

趙行徳「見殺しにはできなかった」←「なぜ?」の答えにはあまりなっていない。

しばらくして、西夏語習得のため、西夏の首都イルガイへの留学を命じられる趙行徳。もちろんツルピアを連れて行くことなんてできません。その夜・・・

趙行徳「なぜお前を助けたのか・・・今はっきりわかった」

ツルピア「わたしも・・・わたしにもわかっている」

そして、二人は濡れ場に突入します。科挙試験を放り出した趙行徳は、脱童貞(おそらく童貞だった)を果たすのです。再び現代に置き換えれば、工場で肉体労働に励む日々の中で、美しい女性と出会い、恋仲になって一夜を共にするという状況。

と、こういう風に観ていくと、この『敦煌』という映画は、司法試験受験生や東大受験生たちにはおススメできない作品です。「おれ(わたし)も試験勉強なんてやめて旅に出てみようかな」なんて思い始めたらその後の人生、趙行徳かもしれません。もちろん受験勉強を放り出して旅に出た方が良い結果になるということもあり得ることですが。

その後、趙行徳はどうなったかというと、ツルピアとの駆け落ちに失敗し、彼は命令通りイルガイ留学。西夏語をある程度習得し、西夏語と漢語の辞典制作も命じられ、それも何とか完成させます。最後には、敦煌太守である曹延恵(そうえんけい)の所蔵する膨大な書物(各種宗教の経典など)や美術品を戦火から救い出し、莫高窟’(ばっこうくつ)と呼ばれる敦煌の有名な石窟に保管する、という大業を果たすのです。その過程で彼は、彼にとって大切な人々、ツルピア、仲の良かった部隊隊長の朱王礼(しゅおうれい)などを失います。

割りに悲しい結末です。しかし少なくとも、趙行徳は、科挙の勉強を続けているだけでは得られなったであろう多くの貴重な経験を得ることができました。

それらは彼も受験生時代に心の底で求めていたものだったのではないでしょうか?

映画『敦煌』の原作、井上靖の小説『敦煌』は新潮文庫で読めます。