今朝は夜中の4時に目が覚めた。眠れず、諦めて濃いコーヒーを入れ、そのまま日の出を迎えた。春眠暁(しゅんみんあかつき)覚えまくりである。
春眠暁覚えまくり、というのはもちろん中国唐代の詩人、孟浩然(もう こうねん)が春の不眠症を歌った詩の一節である。
というのは真っ赤なウソで、彼はむしろ逆に春の眠りが気持ちよくて、寝過ごしている。
『春暁(しゅんぎょう) 』という作品だ。
春眠不覚暁
処処聞啼鳥
夜来風雨声
花落知多少
春眠(しゅんみん) 暁(あかつき)を覚えず(おぼえず)、
処処啼鳥(しょしょていちょう)を聞く、
夜来風雨(やらいふうう)の声(こえ)、
花(はな)落つること(おつること)知る(しる)多少(たしょう)。
少女漫画的貴公子風に訳すと、
ああ、気持ちいい春の眠り 夜明けに気づかなかったなあ
はっ、鳥たちの声が聞こえる...
昨夜は風や雨の音を耳にしたけれど、
花たちはどれほど散ってしまったのかな?
という感じになる。
頭の中お花畑というのは、こういう人を言うのかもしれない。いや、違う。頭の中お花畑の人の頭の中のお花は散ることがない。だからこそ頭の中お花畑なのである。頭の中のお花が散ることを心配している人は、頭の中お花畑とはいわないだろう。では何というか?例えば、頭の中無常・・・
とか、そんなことはどうでもよく、気になるのは作者、孟浩然(もう こうねん)の花鳥風月への執着である。
彼がこの詩において気にかけている対象がすべて花鳥風月、つまり自然であることに気づいただろうか?
一句目
夜明けに気づかなかったなあ
二句目
鳥たちの声が聞こえる...
三句目
昨夜は風や雨の音を耳にしたけれど、
四句目
花たちはどれほど散ってしまったのかな?
どうだろう、四句すべてにおいて作者によって注目されるのは自然である。頭の中花鳥風月というべきか。
だが、こういう人を「ウザい」と思うか、「キャー素敵」と思うか、スマホやテレビ、電動草刈機の時代に生きる現代日本人にとって意見の分かれるところだろう。
「は?鳥の声?風?花散った?ウゼえwwそんなことよりポケモンGOしよーよ!」か、「この電波だらけの時代にこれほど繊細な感性を有した人がまだいただなんて・・・まるで現代の光源氏のよう。素敵、惚れちゃう♡」である。
試しに、「春暁的な彼氏」というものを仮定してみる。「春暁(しゅんぎょう)」というのはもちろん、この詩のタイトルである。なので、「春暁的な彼氏」というのは、「花鳥風月に執着する彼氏」ということである。
そんな彼を通してこの問題を見てみよう。
時は夏の夜。二人は郊外の高層マンションのベランダに並び、遠くに広がる都心の夜景を眺めている。しっとりとした雰囲気の中、彼女は唐突に、でも優しく、「春暁的な彼氏」に問いかける。
彼女「ねえ、春暁的彼氏くん、あたしのこと好き?」
彼は答える。
春暁的な彼氏「あっ、ほら見て、あそこ、流れ星!」
違う。これはどうみてもダイアローグが成立していない。彼は質問に答えていないどころか、質問そのものをガン無視している。ほとんどの女性がウザいと思うだろう。これでは春暁的彼氏くんに不利というか、不公平である。風流人の彼ならもっとうまくコミュニケーションに自然を取り込むはずだ。もう一度、想像してみよう。
時は夏の夜。二人は郊外の高層マンションのベランダに置かれたテーブルに向かい合い、イチゴのショートケーキを食べている。テーブルの上に置かれたキャンドルには火がともされ、とてもロマンチックな雰囲気だ。微かな夜風も肌に気持ちいい。
ふと、春暁的彼氏くんが顔を上げると、あることに気づく。可愛い彼女のいたいけな唇に、一抹(いちまつ)の生クリームが。彼女はそれにまったく気がついていない。しっとりとした目で、静かにイチゴのショートケーキを食べ続けている。
春暁的彼氏くんは、少しの間、考える。
「普通の彼氏」なら、おそらく、「あ、生クリームが付いてる。ふふ」と言って微笑み、右手人差し指で彼女のそのくちびるに付いたわずかな生クリームを優しくすくい取ってやり、テロリとひと舐めでお掃除してあげるところだろう。
だが、春暁的彼氏くんは違う。彼はそんな下品なことはしない。
春暁的彼氏くんは、少しの間、考える。
そして夜空に浮かぶ三日月の方に目をやりながら優しくつぶやく。
春暁的彼氏「三日月の端にかかる雲が恨めしいよ」
彼女は、わずかに微笑みながら、三日月の方に目をやる。しかし、そこにある三日月に雲はかかっていない。あるのは完璧な、美しい、見事な三日月である。
彼女は不思議に思う。雲なんてかかっていないのに、と。
そしてしばし考える。
「はっ」と、彼の言葉の真意に気づいた彼女は、すかさず手元のナプキンを手に取り、口元の生クリームをぬぐい取った・・・
どうだろう、ウザいだろうか。素敵だろうか。もちろん春暁的彼氏くんの花鳥風月押しはこれだけでは終わらない。今書いたのが一句目の「夜明けに気づかなかったなあ」に当たるとすれば、続けて二句、三句と続いてゆくことだろう。
それが「春暁的彼氏」である。
ウザいだろうか、素敵だろうか。
ウザいだろうか。
今のところ、筆者はその答えを持ち合わせていない。