『源氏物語』読書マラソン8〜ミカド、運命に責任転嫁〜

スポンサーリンク

『源氏物語』読書マラソン8。

大塚ひかり訳『源氏物語』のP31〜37まで読み進めました。前回の続きとして紹介記事を書いていきます(斜体のところは引用です)。

ではどうぞ。

 

今は亡き桐壺更衣の実家に、ミカドの使いである靫負命婦(ゆげいのみょうぶ)がやって来ます。

彼女は、「我が子(桐壺更衣の産んだ光源氏)のこともすごく気になるし、参内しなよ」というミカドのメッセージを携えてきました。

このミカドの勧めに対し、桐壺更衣の母は、

「私自身、まだ生きながらえてるのが辛いのに、さらに周りに高砂(たかさご)の松みたいにしぶとく生きてると思われるのも恥ずかしいので、宮中行きなんてできそうにない」

というような返答をします。

無職なのに同窓会とかムリ、みたいな気分でしょうか。

桐壺の母はさらに、この命婦に対し、自分の娘のことなどを語り始めます。

それによると、娘には生まれたときから期待していて、今は亡き夫の大納言も、臨終のときまで、「この人の宮仕えの悲願を必ず遂げさせるように。私が死んだからといって諦めるような残念なことはするな」と念を押していた、と。

そこで、この遺言に背くまいという一心で娘を宮仕えに出したところ、身に余るほどの寵愛をいただいた、と。

ここまでは、ただ事実を語っています。

が、最後に桐壺の母は、ミカドをチクりとひと刺し。

「でもその身に余る寵愛のおかげで娘は周りの恨みを買い、変死しちゃったよ。ああ、ミカドの寵愛もかえって恨めしい。すいませんね、これが親というもので」

そこで、命婦が、ミカドも同じだよ、と彼の言葉を紹介。

「私があれほど桐壺を愛したのは、長くは一緒にいられない運命だったからなんやな。この縁が恨めしいわ。これまで全然まったく人を傷つけるようなことはしていないつもりだけど、あの人のために不要に恨みを買い、さらにはおいてけぼりにされてしもた。いったいどんな前世の宿縁やねん

ミカド、まさかの運命に責任転嫁。 

ここまでまとめ

桐壺の母→(恨めしい)→ミカド(の寵愛)→(恨めしい)→縁(ええ、オレ!?) 

恋の猛烈な力を前にしてはミカドも縁(運命)のせいにするしかなかったのでしょう。が、ここで私は縁の正体を暴露したくなってきました。 

言いたくないけど、言っちゃいます。

それは、桐壺更衣の父、大納言です。

大納言はすでに他界しているので表立っては登場しませんが、先ほど桐壺の母から彼の娘の教育方針の一部が明らかにされました。

もう一度引用しましょう。

この人の宮仕えの悲願を必ず遂げさせるように。私が死んだからといって諦めるような残念なことはするな

彼は死の間際まで、娘に関するこの悲願に執着しました。

母はしぶしぶでしたが、夫の遺言ということもあり、娘を宮仕えに出しました。母はすでにこの世に存在しない夫の、娘は父の遺言を背負った母のプレッシャーを強く感じていたと思います。

その結果、娘、桐壺更衣はミカドに異常に愛され、不幸にも亡くなってしまったのです。

いや、運命がなければ、彼女が宮仕えしてもミカドに愛されることもなく、今回の不幸もなかった、と考えることもできますが、それはちょっとずるいですよね。

そうなると何でも運命や前世の宿縁で片付けられ、責任というものが存在しない世界になってしまいます。「カップ焼きそばの湯切りに失敗して麺をぶちまけてしまった・・・これも前世の宿縁で・・・(オレわるない)」はちょっと怖い世界。

桐壺の死の責任は100%父大納言にあるとまで言わないですが、ある意味彼は、今回の悲劇のお膳立てをしたと見ることもできます。

さらに言えば、ミカドも桐壺父の罪をかぶってしまっている、と。

子の生き方に関する親の異常なまでの執着やわがままが、その子に不幸をもたらす、というのは今でもよくあることですよね。 

 

読み進めているのは、古典エッセイストの大塚ひかりさんが訳された『源氏物語』です。いくつもある源氏物語の日本語訳の中でも特に現代的な訳で、かなり読みやすいのでおすすめ。