『源氏物語』の読書マラソンを始めます。ゴールまで続くかはちょっと今の時点では不明ですが、興味のある方はぜひ読んでいってくださいませ。
ちなみに引用部分は斜体にしています(今後の記事でもそうです)。
ほとんどの日本人が読まない不朽の名著『源氏物語』は、「いずれのミカドの御代(みよ)でしたか、」という風に、「語り」のたぶんボケたふりから、物語が始まります。
ちょっと無責任な感じで幕を開ける物語ですが、次のページに進むのを待たずして、次々と頼りのなさそうな人たちが描写されます。
ミカドが、それほど高貴な身分でないある女性を溺愛し、そのことに対する周りの反応が描かれるのですが、一読すれば誰もが「いずれのミカドの御代(みよ)」の先が思いやられてくるのではないでしょうか?
まず、その溺愛される女性以外の宮仕えの女性たちの一部は、さながら現代の腹黒女子のごとく「「あのような者が心外な」とバカにしたり妬んだり」します。マクドがあればマックフルーリー1本で軽く3時間くらいは愚痴っているかもしれません。
当の本人は、そんな周りの恨みを受けた影響か、病弱になって実家に帰りがち。それをミカドは「もっと会いたい」「可哀想に」と厚遇します。
現代日本の週刊誌があれば、「ミカド、愛する更衣に「もっと会いたい」」みたいな見出しで一本書かれていそうな熱愛ぶり。
国をまとめるべきミカドが「もっと会いたい」。
一方で、政権の上層部にいる上達部(かんだちめ)や殿上人(てんじょうびと)は、ミカドのスキンシップが常軌を逸しているのか、そんな現状に「むやみに目をそむけ」ます。
腹黒女子、病弱帰省女子、「もっと会いたい」ミカド、むやみに目をそむける政権幹部など・・・あまり大人の見当たらない政治の中枢。
政治と恋愛の分離、すなわち政恋分離の必要性をいきなり感じた『源氏物語』の幕開けでした。
読み進めているのは、古典エッセイストの大塚ひかりさんが訳された『源氏物語』です。いくつもある源氏物語の日本語訳の中でも特に現代的な訳で、かなり読みやすいのでおすすめ。