「穿った見方」の意味と、「穿つ」を正しく使うことの困難さ。

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知識人が日本語を誤用したときの興ざめ具合は、美人がオナラをしたときの興ざめ具合に似ている

昨夜、YouTubeであるニュース番組を見ていました。

そこで、専門家の方がある政治問題に関して解説をした後、謙遜した様子で「うがった見方かもしれませんが、こういうことになるのだろうと思います」としめくくりました。

これを見ながら「専門家なんだからあんまり憶測でものを言うべきじゃないよな」とコーヒーをすすりながら一人でぼやいていたのですが、あとで二つの重大な誤りがあることに気づきました。

双方とも「うがった見方」の意味を理解していない・・・

「穿つ(うがつ)」の正しい意味

結論から言えば、「うがった見方」というのは「物事の本質を的確にとらえた見方」という意味です。

「うがった」のもとにあるのは「うがつ」で、漢字で書くと「穿つ」。

第一の意味は、「穴を開ける」や「掘る」というもの。例えば、「トンネルを穿つ」、「壁に穴を穿つ」といった使い方をします。なので、小さな子供が「落とし穴うがった!」と報告に来ても、優しい目で見守ってあげてください。

というのはいいとして、この「穴を掘る」が転じ、「物事の本質や人情の機微を的確にとらえる」といった意味になっています。

みんなに誤解されている気の毒な日本語「穿つ」

冒頭に紹介したエピソードからもわかるように、この意味での「穿つ」の誤用がかなり多いようです。例えば、明鏡国語辞典 第二版の「穿つ」の項に次のようなコメントが添えられています。

プラス評価で使う。「あまりにー・った(=うがちすぎた)見方だ」など、深読みしてツボをはずす意で使うのは誤り。

つまり、「穿つ」は「物事の本質を的確にとらえる」という意味の肯定的な言葉なので、悪い意味としては使えないのですね。謙遜したつもりでも、本来の正しい意味で解釈すれば、ものすごく嫌味な人になってしまうので気をつけなければなりません。

「うがった見方かもしれませんが、こういうことになるのだろうと思います」

「うがった見方かもしれませんが、こういうことになるのだろうと思います」

「うがった見方かもしれませんが、こういうことになるのだろうと思います」

中国語だと「穿つ」はどう表現する?

ちなみに外国語だと「穿つ」はどう訳されるのでしょうか?

例えば、中国語の辞書で「穿つ」を引くとこんな訳例が載っていました。

うがった言葉 一针见血的话

 一针见血的话(yī zhēn jiàn xiě de huà )というのは、「簡潔に核心を言い当てる言葉」という意味です。「一針で血を見る」という言い方が面白いですね。

「穿つ」を正しく使える人は少数派(26.4%)

平成23年度の「国語に関する世論調査」によれば、「うがった見方をする」を「疑って掛かるような見方をする」という意味だと考えている人が、調査対象となった人全体の半分近くを占めているのが現状です。

一方で、「物事の本質を捉えた見方をする」という本来の意味で理解している人は全体のおよそ26.4%

こうなってくると、「穿つ」という言葉は本来の正しい意味で使うべきなのか、それともあえて誤用するべきなのか、という根の深い問題になっていきます。

今の現状で、本来の正しい意味で、

「あなたの見方は非常に穿っていますね。敬服いたします」

なんていうふうに使っていると、友達が減っていく可能性が高いです。

世間的に正しく使えば誤用、日本語的に正しく使えば人間関係に悪影響を及ぼす日本語、それが「穿つ」。

というわけで、「穿つ」は当分使わないのが無難な日本語として、勝手ながら、認定いたします。ここまで誤解が広がっていれば、もはや私たち日本人がそれを改めることを期待することはできません。「穿つ」さんが変わるのを待ちましょう。

明鏡国語辞典 第二版

明鏡国語辞典 第二版

 

国語辞典を読むのは実に楽しいです。