科挙に合格したいわけではなく・・・
ここ一ヶ月くらい、中国の古典、四書五経を通読したいな、とずっとうずうずしています。
科挙試験に合格したいわけではなく、中国のドラマを見てると、古典由来の成語や慣用句がしばしば登場するので、その時、出処がわかれば、さぞかし楽しいのに、と。
※四書五経(四書は「論語」「大学」「中庸」「孟子」、五経は「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」)
現代中国語で古典の読解は可能か?
それで、色々漢文について調べてみました。現代中国語ができたら読めるのかなあ、とちょっと気になったので。で、結論から言うと、
基本、読めない(泣)
日本の古典のことを考えてみてください。今の日本人が源氏物語を原文で理解できないのと同じく、現代中国語が読めても大昔の論語やらを読解できるわけではないです。もはや外国語みたいなもの。
論語を現代中国語で検証してみる
とはいえ、眺めていると読めそうな気がしてくるのですよね・・・例えば、この論語の一説。
子曰、学而时习之、不亦说乎。有朋自远方来、不亦乐乎。人不知而不愠、不亦君子乎。
(子曰、學而時習之、不亦説乎。有朋自遠方来、不亦樂乎。 人不知而不慍、不亦君子乎。)
上の方は、今、中国大陸で使われている字体(簡体字)です。意味は、次のようになります。
〔 通釈 〕
孔子云う、「学んだことを繰り返し実践していると、自然にいい習慣が身について来る。これは何とも嬉しいことではないか。志を同じくする友がはるばる遠方からたずねて来て、忽ち意気投合して語り合う。これは何とも楽しいことではないか。世間に認められようが認められまいが、そんなことは気にせず一層研鑽に励む。これは何とも立派なことでは あるまいか」。と(学而第一 001より引用)
原文を見ただけでは、このような解釈は全然思い浮かびませんでした。でも、実は、現代中国語の知識があるがゆえに意味が理解できる部分も結構あります。例えば、この部分。
有朋自远方来
現代中国語で、「友達」のことを「朋友」と書きます。そして、「自远方」というのが、「遠くから」というのも、現代中国語で理解が可能です。残りの、「有」と「来」も同じで、すべてを総合すると、「友が遠くから来る」という意味だろう、と解釈できてしまうのです。
また、「而」が並列を表すということも、中国語の基本です。
結論
なので、現代中国語が読めるからと言って、中国の古典が読めるわけではないですが、現代中国語を知っている方が断然に古典に親しみやすくなる、ということは言えると思います。
中国という国に興味のある人は、ぜひ論語を読んでみてください。理解が深まります。
個人的には、講談社学術文庫から出てる『論語』が読みやすくておすすめです。