『源氏物語』読書マラソン6。
大塚ひかり訳『源氏物語』のP27〜29まで読み進めました。前回の続きとして紹介記事を書いていきます。
ではどうぞ。
亡くなった桐壺更衣(きりつぼこうい)の野辺送りです。
大納言だった彼女の父はすでに他界していますが、母はまだ存命なので、葬儀に参加します。
母は「旧家出身の教養のある方(P18)」ですが、「同じ煙になって空にのぼりたい」と言ってボロ泣きし、娘の死に相当取り乱している様子。
さらには、
「むなしい亡き骸を目の前で見ても、まだ生きていらっしゃるように思えてならないので、灰になるところを見届けて、もう今は死んだ人なのだと無理にでも思うことにしよう」
と前向きな努力もむなしく、車から転び落ちそうになる始末。シートベルトはないようです。
そんな中、内裏から勅使がやって来て、亡き桐壺更衣に三位(更衣より上で、女御と同等の位)を授ける旨を告げます。
生前に大した位を与えなかったことを悔やむミカドの心遣いですが、「やっぱりミカド空気読めてないな」と、宣命を読み上げながら勅使も心の中で思ったかもしれません。
案の定、直後には次の一文が。
それにつけても故人を憎む方々は多いのです。
ミカドが「愛してる〜!!!」と叫ぶたびに、周りにボコボコにされる桐壺更衣。新種のパワハラというか、相当つらかったでしょう。
でも一方で、桐壺更衣の周りに余計なことを「する」人々がいるからこそ、彼女が魅力的な女性としてアイドル化していくのです。
「会いたい」、「可哀想に」と言って火に油をそそぐミカド、廊下に汚物をばら撒いて嫌がらせする他の妃、衰弱した娘の実家帰りを泣く泣くミカドに懇願したり、車から転げ落ちそうになる慌ただしい桐壺更衣の母。
そんな何かを積極的に「する」人々が周りに多い中、中心にいる肝心の桐壺更衣は、なよなよとか弱く悩んだり、困ったりするばかりで特に何も「しない」受け身姿勢。
「しない」ゆえに、愛おしい人物になっていきます。
ちょうど、『冬のソナタ』で、ミニョン、サンヒョク、チェリンらが自分たちの願望を満たすためにバタバタと騒ぎ立てるほどに、それに翻弄されるか弱いユジンが一層可愛く見えるように、桐壺更衣は、周りの「する」に翻弄されることで、どこかいたいけな「守ってあげたい」と思わせるような存在になっていきます。
周りがみんな「する」中で、「しない」ことによる差別化。
か弱い桐壺更衣からは、そんな重要な価値化テクも学べるのです。
読み進めているのは、古典エッセイストの大塚ひかりさんが訳された『源氏物語』です。いくつもある源氏物語の日本語訳の中でも特に現代的な訳で、かなり読みやすいのでおすすめ。