根性による3ヶ国語学習者の日記

風通ふ 寝覚の袖の 春の香に 薫る枕の 春の夜の夢 ー『新古今和歌集』

AI時代に生き残るためのスキル、能力について機械翻訳から考えてみたら意外にシンプルな答えにたどり着いた。

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ここ何年も、みんなこぞって、AIが、AIがってうるさいですよね。ええ愛が・・・、ええ愛が・・・とかなら「私はあなたに愛を与えられます」という人がさっと横から現れて、愛のほしい人と愛を与えられる人のマッチングがたくさん起きて素敵な社会になると思うのですが、昨今のAIというのはもちろん、人口知能のことです。

やっかいなのは、その種の言論にけっこう脅し文句に近いようなものが入っていて、ただでさえ停滞した先の見えない社会なのに、さらに不安を煽りやがることです。「定型的な仕事しかできない人に未来はないですね」とか、「コンビニバイトとか未来ないっすね」とか、「ドラえもんいればのび太は不要」とか、もともと夢なんかないところにわざわざ悪夢を用意してくれる人たちがたくさんいます。

困ったものです。

んでまあ、こういうタイプの仕事が残っていきますよ、こういうスキル、能力が必要になっていきますよ、ということも一応示してくれます。

ところがどっこい見てみると、「クリエイティブな仕事」とか「芸術的な仕事」とか「高度なコミュニケーション能力が必要な仕事」 とか、ちょっとそれって普通の人にはハードル高いんじゃないのってのが多いのです。

どちらかというと、生まれつきのセンスとか能力が必要になるものです、これらは。

そうするとあれですか、将来の義務教育は今の芸大みたいな教育内容になるのですか、1限目はダンスレッスン、2限目はイラストレッスン、3限目は落語レッスン、4限目はゴスペラレッスン、5限目は川柳、6限目は腹話術・・・まあ今の義務教育に馴染まない人の中には「めっちゃええやん!」と思わず机を叩いてしまう人もいるかもしれませんが、学校でも社会に出ても相当に熾烈な世界が待っていそうですよね。

例えば、腹話術の先生が芸術系体育系によくいるような熱血タイプの先生で、一人一人腹話術の発表させられて、先生が、

「お前やる気あんのかああっ!!!!!!」

ってキレたら、生徒は片手で人形をさげたまま、

「はっ、はい・・・」

って蚊の鳴くような声で答えて、

先生「だからやる気あんのかって言うてんや!!返事せえやオラああ!!!!!」

生徒「はっ、はいっ!!!!!」

みたいなシチュエーションとか今の義務教育現場以上に頻発しそうですよ。それこそ今の東大も芸術大学に変貌しているような世界で、そんな東大に合格者を多数輩出するような名門高校とか、怒号の嵐になっていそうですよね。

先生 「ふーん・・・トンカツだと思って食べたら魚のフライ・・・あなたなに、こんな川柳作って東大にいけるとでも思ってるの?やる気ないの?やる気ないんだったら帰ってっ!!!!

こっち方面に向いてない人には地獄で、今以上に不登校が増えそうです。

とはいえ、これは「クリエイティブな仕事」「芸術的な仕事」から想像した極端な世界で、実際はここまで想定する必要はないと思います。少なくとも今後数十年ではさすがに実現しないでしょう、知りませんが(知らんのかい)。

知らないですけど、まあ一応そう考えるだけの理由はあります。

AIの進歩や脅威をリアルに肌で感じ取っている種族の一つとして、熱心な語学学習者や通訳者、翻訳者が挙げられます。

もう機械翻訳、自動翻訳の進歩をひしひしと感じているはずです。

僕もその一人で、日本におけるLINEに当たる中国のメッセージアプリWeChatの音声の書き起こしとその翻訳機能を初めて使った時は、その精度の高さにマジでびびりました。中に通訳するちっさいおっさんでも入ってるんじゃないかとスマホを一瞬まじまじと見つめましたよね。

ちっさいおっさんはいなさそうでしたが、思いましたよね、外国語ができることの価値は下がり、通訳翻訳産業は没落していくのか・・・と。

それと同時に、機械翻訳通訳と外国語能力の価値を出発点にして、AIとその脅威にさらされるであろう職業について色々考えてみました。

で、得た結論は、次のようなものです。

人間の作業によって消費者をいい気分にさせる余地がある限り、その職業は生き残ることができる。

「いい気分」というところがポイントなので強調しておきました。ここでの「いい気分」というのは、ちょっとした肉体的快楽、心地よさ、思わず顔がほころぶようなよい気分のことです。まあ、わざわざ説明しなくても「いい気分」というのは本来そのようなものですが。「いい気分」と聞いて想像するような気分のことです。そのまま受け取ってください。

例えば、通訳機って簡単なフレーズならほぼ完璧に通訳してくれます。通訳において大事な「訳せているか」「訳せていないか」という点では「訳せている」と言えます。が、

むかつくんっすよね、通訳機の音声。

まず音声を認識するのも遅いし、それを訳出するのも遅いです。そして、通訳機の音声は、読み上げが平板、棒読みです。要するに、全体的にイライラ、つまり不快感が伴います。

不快感というのは「いい気分」の反対に位置するものですね。

まだ、それなりの実力を持った人の行う通訳の方が断然に人を「いい気分」にすることができます。

どんな言葉も素早く正確に訳せる通訳機が登場したとしても、声とか伝え方といったちょっとした点である通訳者の方がよい心地を与えることができるなら、その通訳者さんは食ってはいけると思うのです。

世の中には無数の商品、サービスがありますが、究極的には人は「いい心地」を求めてそれらを消費しているのですから。

高性能なマッサージ機がこれだけ市場に出回っていても、マッサージ屋さんが多く生き残っているのはやはり、マッサージ屋さんがマッサージ機には与えられない「いい心地」を与えられているからだと思います。それは、店の雰囲気だったり、マッサージ師の気遣いだったり、マッサージ師との雑談だったり・・・こうした色々な要素から醸成される「いい心地」。

残る仕事は「クリエイティブな仕事」、「芸術的な仕事」、「高度なコミュニケーション能力が必要な仕事」 と言われると、「そんな仕事ムリ〜」と思ってしまいそうですが、普通に生活できるだけの人間力があるならそれほど深刻になる必要はないような気がします。

今自分がやっている仕事は、AI以上にいい気分を人に与えていくことができるか?

という基準で、自分のキャリアを考えていけばよいと僕は個人的に思います。

そう思わない人は、川柳を習いに行った方がいいです。

AIの実態を知るには以下がおすすめ。わりと拍子抜けで安心できるかも?

AI vs. 教科書が読めない子どもたち

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