雨森芳洲〜朝鮮語に堪能だった江戸時代の通訳案内人〜

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雨森芳洲って誰?

雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)という人をご存知でしょうか?

彼は江戸時代の朱子学者で、外交官でもあり、日朝間におけるパイプ役を務めた人です。

日本初の朝鮮語の教科書、『交隣須知』(こうりんしゅち)を書き、朝鮮通信使の案内役を務めました。

朝鮮通信使は、豊臣秀吉の朝鮮出兵として知られる、1592年と1597年の文禄・慶長の役(ぶんろく・けいちょうのえき)のあとに朝鮮から定期的に派遣された使節団のことですね。

使節団は漢城(ハンソン)つまり現在のソウルから、プサン、対馬を経て、江戸に向かいます。およそ10ヶ月、距離にして2000キロの長旅で、そのお供をした日本側の外交官が、雨森芳洲です。

初代韓流アイドルとしての朝鮮通信使

朝鮮通信使は、朝鮮の官僚たちで、詩や画の製作、音楽の演奏に堪能だった人たちでした。それゆえに、日本の一般庶民からは熱烈な歓迎を受けたそうです。現在ほど充実した教育を受けていない当時の庶民たちにとっては、彼らはすごい芸を持ったアイドルたちだったんですね。

雨森芳洲に学ぶアイドルへの接近法

雨森がそんな庶民の羨望の的となる朝鮮通信使の案内役ができたのも、朝鮮語ができたからですよね。

ここに雨森から学べることが一つあります。

それはアイドルへの接近法です。

例えばペロンジュン(仮名)というアイドルに会いたいと思ったら、普通の人は握手会などのイベントにお金を払って参加するしかありません。それでも遠くからトークを聞き、最接近した場合でも数秒の握手と営業用の笑顔をゲットできるだけ。

もう一つのルートとして考えられるのが、ペロンジュンを招いたり、ペロンジュンを派遣する機関や組織に就職するという方法ですが、これもかなり狭き門。

そこで残るのは、そう、

朝鮮語の通訳になることです。

実際、通訳者というのは、芸能人や経済界、官界の著名人、有名人を担当することも珍しくないみたいですね。英語は競争が激しいですが、朝鮮語に関しては狭い世界なので、比較的チャンスは多いのではないかと想像します。それこそさらに狭い世界であるロシア語通訳界に入り込めば、プーチン大統領の通訳だって・・・いや、あれは官僚が担当するのかな?

まあ、そんな下世話なことを抜きにしても、外国語ができると言葉の面で相手の文化に直接触れることができ、それだけで大きな特権というか、喜びですね! 

『海游録』は朝鮮通信使の朝鮮側の書記官がつづった、旅の記録です。旅じゃねーよ、仕事だよ!って言われそうですが(笑)

海游録―朝鮮通信使の日本紀行 (東洋文庫 252)

海游録―朝鮮通信使の日本紀行 (東洋文庫 252)