キリスト教が日本で普及しない理由〜歴史の視点から〜

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なぜキリスト教は仏教のように普及しなかった?

昨日、仏教伝来について書いていて疑問に思ったのが、どうして日本ではキリスト教が仏教のように普及しなかったのか、ということです。

「外国の新しい技術や思想を取り入れ、強い国にする」という熱い思いがあったという点で、仏教伝来から律令国家形成までの時期と、倒幕から近代化までの時期(明治維新)ってよく似ています。

でも明治維新の時は西洋の技術や政治思想は積極的に取り入れ、普及させましたが、キリスト教はそれほど普及しませんでした。

なぜ?

それについて考え、気づいたことを書いてみます。

飛鳥時代の仏教普及の背景

仏教到来の場合とキリスト教到来の場合を比べて異なるのは、「権力者によるおすすめの強さ」ですね。

飛鳥時代に仏教がやって来た時は、当時の豪族、蘇我氏は積極的に仏教を支持し、推古天皇を補佐した厩戸王子(聖徳太子)も仏教の普及に力を尽くしています。推古天皇だって後押ししていたわけですから、蘇我馬子、厩戸王子、推古天皇という当時の三大権力がそろって「仏教オヌヌメ!」をしていたということです。 

この状況で、「仏教とか知らね〜、ぷいっ」なんて態度をとりますと、空気読めてないとして上の3人からリンチされたかもしれません。ここにきて仏教をお断りすると、厩戸王子が制定したとされる憲法十七条の「一にいわく、和をもって貴(とうと)しとなし」の文、つまり元祖「お前ら空気読めよ」の掟(おきて)にいきなり背くことになりますので。

こうした状況化で、新しい宗教、つまり仏教は普及していきます。 

キリスト教布教の背後にちらつく不純な動機

で、一方で、キリスト教の場合はどうだったか?

キリスト教伝来後、初めのうちは、織田信長により公認されていました。が、しだいに幕府による安定的な統治を脅かすものとして、例えばバテレン追放令(1587)や禁教令(1612)により、封じられていきます。「植民地化する」という宣教師たちによるキリスト教布教の政治的側面が、幕府により見破られたのですね。ここで「キリスト教オヌヌメ!」なんてしたら、もはや売国政府です。

明治維新とキリスト教の矛盾

そして明治維新。

明治維新はそもそも日本が植民地化されないよう、西洋諸国に並ぶ強国にしようというものです。独立維持の考えが、コアにあります。そのことを踏まえると、キリスト教オヌヌメ政策が積極的に推進されなかったことが、よく理解できます。

独立維持の考えと「植民地化」という政治的側面を匂わしていたキリスト教とは相入れないのです。

結果、明治政府は、飛鳥時代の仏教のようにキリスト教を積極的にオヌヌメするということもせず、日本でそれが普及することもなかった・・・

というようなことを今日は今朝から考えていました。歴史って学べば学ぶほど思考の泥沼にハマっていきます。もはや歴史そのものが邪教やわ。