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大人になってから数学コンプレックスを克服するまでのお話。

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みなさん、学生時代、数学は苦手でしたか?

それとも、得意でしたか?

 僕は苦手でした。

いや、苦手云々というより、その当時の僕にとって数学というのは、できる限り距離を置いておきたい毛虫のような存在でした。少し距離を置いたところから眺めている(→授業で先生の話を聞いている)分には平気でしたが、上から落ちてきたり(→先生に当てられる)、触ってみろと言われたり(→問題を解かされる)すると、冷や汗をかいて、生きた心地がしませんでした。それくらい数学というのは、恐怖の対象だったのです。

そういうわけで当時の数学の成績は、30点台ばかりでした。30点台というのは、テストに出てくる問題の一番基本的な問題だけ解けた、くらいのものだと思います。教科書の例題の前半の何問か、運が良ければ後半も解ける、くらいのレベルだったのではないでしょうか。毛虫でいえば、長めの棒を使って地面で転がしたりできるレベル。

「数学ができる人は頭がいい」というイメージは、もちろん当時の学生にも共有されていて、逆にできない人は残念な人と認識されます。で、不幸なことに、僕自身も当時、そのように世界を捉えていました。あいつ毛虫触れる、すげえ。

 中学生の時はまだよかったんです。中学時代、僕は数学に限らず、基本的にどの科目もろくな成績のとれないアホだったですから。数学のできる人をすごいと思っていても、そして自分が全然できなくても、特にそれを恥じだとは思わなかった。「たしかにすごい、でも毛虫に触ることができていったい何の役に立つ?」という冷めた目も同時に持ち合わせていたわけです。アホだったんです。

 ところが、中学校生活も終わりに近づき、あることをきっかけにして英語の成績が飛躍的に伸びました。このことは以前にも書いた通りです。

 

yaseteru.hatenablog.com

 

 そしてさらにアホなりに高校受験を意識して暗記をがんばった結果、社会の点数も伸び、5科目を平均すると、良くはないけど、アホともいえない、「夢だけど、夢じゃない」という『となりのトトロ』の名シーンがありますが、アホだけど、アホじゃないというくらいの穏やかな成績になりました。

 

そのようにして5科目平均して穏やかな成績になりました。「5科目平均して穏やかな成績」の中身は、「英語、社会が良くできて、数学、理科が壊滅的」というものです。国語はどうでしょう。忘れちゃいました。

結果、偏差値50前後の穏やかな高校に進学することになりました。頭の良さそうな顔をした生徒はあまりいないけれど、かといって、教卓の上にうんこ座りするような生徒もいない、そんな穏やか高校でした。

 そしてこの山奥の湖のような平和な学園において、僕の数学コンプレックスの芽が花開くことになります。

前編の記事で軽く触れた通り、当時、僕は英語がかなり得意でした。社会もまずまずできたものの、高校入学当初の僕の英語の成績は、5科目の中で、チンピラに囲まれた大仏様のように威光を放っていました。チンピラが大仏様に指一本でも触れようものなら、「Don't touch me.」の一蹴りです。

そうした大仏独裁は何を引き起こしたか?

まず、英語で学年トップになり(これは勉強のすごくできる子もできない子も集まる公立中学校時代には不可能なことでした)、その結果周りから「すげー」と言われ、それに気を良くして、他の科目も頑張るようになり、最終的には、世間的にはそこそこの評価が得られる私立大学に進学することができました。 

ところが、そんな飛躍の中でも、数学だけは、ずっと苦手でした。他の科目では良い成績を取る。そして周りから「すげー」と言われる。しかし、数学の成績だけは大仏の手のひらの上に落ちた鳥のふんのような存在。「Don't touch me(わたしに触れるな)」も鳥のふんに対しては無力でした。

大学受験は、英国社の三科目受験で何とかなるものの、この知的偏在はどうにかなるまいか?

そうした思いは、大学入学後もどこか頭の隅に、密かに、しかし確実に居座り続けました。

そして今ーー

世の中に存在する多くの物事が、数学で成り立っているということを知った今、長年に渡って、気にはしていたものの目を背けてきたその数学というものと向き合うことにしたのです。

 するとどうでしょう。

 あれだけ、学生時代、苦しめられた数学というものが自分の中にスルスルと入ってくるではありませんか!

 

な、なにー、同じ誕生日の人がいる確率を50%を越えさせるためには、人を23人集めるだけでいいだってー!!

誕生日のパラドックス(たんじょうびのパラドックス)とは「何人集まればその中に同じ誕生日の人がいる確率が50%を超えるか?」という問題から生じるパラドックスである。鳩の巣原理より、366人(閏日も考えるなら367人)集まれば確率は100%となるが、しかしその5分の1に満たない70人が集まれば確率は99.9%を超え、50%を超えるのに必要なのはわずか23人である。 

                   <誕生日のパラドックス - Wikipedia

 

え、じゃあ同じ日に死ぬ人がいる確率を50%を越えさせるためには、やはり23人集めればいいの??これは、論理的に正しい?わからん(泣)

 

なにー!神の存在は数学的にすでに否定されているだってー!!

ゲーデル 不完全性定理 (岩波文庫)

ゲーデル 不完全性定理 (岩波文庫)

 

 

神を否定している暇があったら、僕の存在を数学的に肯定してくれ!!

 

というふうに、数学にはいろいろと面白い話がたくさんあります。

ところで、なぜ大人になってから始める数学は学生時代に比べて簡単に感じるのか。(もちろん人によっては難しく感じる人もいるかもしれませんが)その理由としては一つに、大人になって、中学高校時代よりも、多少論理的思考力が養われたということがあると思います。

みなさんもよく理解されているように、大人はいろいろと頭を働かせて、生き延びねばなりません。そういう大人の厳しい境遇が、いやでも論理的思考力を高めます。

しかし、「もし世界から自分以外の男がすべていなくなれば・・・」みたいな妄想が論理的思考力を超越する事態が定期的に起こるのは今も昔も変わりません。

 そして二つ目は、学生時代とは違い、自分からすすんで学ぼうという姿勢があることでしょうね。

学生時代の「やらされる数学」より「やる数学」の方がパフォーマンスが伸びるのは、しごく当然のことだと思います。特に、数学は自分で頭を働かせて問題を分析し、解こうとしなければ一歩も前に進まない学問ですからね。

あ、これってやっぱり上に書いたような「大人の境遇」によく似ていますね。違う点は、中学高校数学には唯一の正解があるのにたいして、大人の世界には唯一の正解のない問題がたくさんあるということでしょうか。

「自分で頭を働かせて問題を分析し、解こうとしなければ一歩も前に進まない」という点で大人の世界に似る一方で、「唯一の正解がある」という点でゲームに似た中学、高校数学。

大人になってやってみると、意外に簡単に感じ、そして何より楽しかったです。今日は、二次方程式解くぞ〜

 

 最後に、独学も可能な、ものすごくわかりやすかった1冊を紹介しておきますね。

このテキストは、本当にわかりやすくて、始めの方に割り算とはそもそもどういう時に使うのか?というような内容の解説があるのですが、僕はその部分だけでも買った価値があったと思いました。割り算を舐めてはいけません。

増補改訂版 語りかける中学数学

増補改訂版 語りかける中学数学

 

 

 

 最後まで読んでいただきありがとうございました。