TOEICが825点に達したので、振り返って、あまり効果がなかった感じる英語勉強法をまとめてみた。参考にしてください。
無駄に複雑な例文の暗記
暗唱する英文は、紅白における小林幸子のように格調高く複雑で、修飾語の多いものほど良い・・・そう考えていた時期がオレにもありました。
でも、実際はその逆で、「短く、シンプルで、日常的なもの」ほど会話力やリスニング力の向上に寄与します。もっと簡単に言えば、暗唱例文は、「文語的なものより、口語的なものを」ということです。文語的なものというのは以下のようなもの。
「We eat bananas, not because we like them, but because they give us less trouble than any other fruit. One has to peel an apple or a pear carefully, but the banana almost peels itself.
われわれがバナナを食べるのは、それが好きだからではなくて、ほかのどの果物よりも手数が省けるからである。リンゴやナシだとていねいに皮をむかなければならないが、バナナはほとんどひとりでにむけるのである。」
(『英文標準問題精講』原仙作著 旺文社 P192および別冊P14)
これが文語的なものの例です。ただ、これはまだ内容が日常的なことを扱ったもので、文法的にも口語的と言えなくもないですが、まだ暗唱するにはコリすぎた文章です。読解力の養成には適したテキストですが、今考えている目的には合致していない。目指すべき英文は、ひとり暮らしのおっさんのジャージ姿くらい力の抜けたやつ。
代表例は次のようなもの。
You're just imaginging things. 気のせい[考えすぎ]ですよ
『アンカー コズミカ英和辞典』山岸/勝榮 著 学習研究社
- 作者: 山岸勝榮,Edwin L. Carty
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とても短く、語彙もシンプルで、普段の生活で使えそうな英語になりました。こういう英文の方が断然に暗唱に適しています。なぜ長く複雑な英文より、シンプルで口語的なものの方が良いのかといえば、単純に後者の方が記憶に残りやすいから。例文暗唱は、例文を記憶にとどめ、いつでも頭から引き出せるようになってこそ、その威力を発揮します。そのときは覚えたけれど、忘れちゃった、ではほとんど意味がありません。いくら鼻からうどんを食べても、口から出していては意味がないのと同じです。
知らない単語は知らない
医学知識を持たない人が、MRI画像をいくら眺めたって、正確な医療診断ができないように、語彙が乏しければいくら番組を聴いても、内容を理解できません。例えば、dissuade(ディスエイド)という英単語がありますが、ディスエイド、ディスエイド、ディスエイド・・・と、何回も聴いていれば、意味が理解できますでしょうか(いやできませんでしょう(←反語))。もしそんなことがあれば、人は生まれながらにして、世界のすべてを理解している・・・みたいなスピリチュアルなワールドになっていきます。
「dissuade」は、「思いとどまらせる」という意味です。
単語帳は英語学習の効率性を高めてくれる
しかし、こんな反論があるかもしれません。
文脈で理解できるかもしれませんでしょう?文脈で理解すれば記憶にも残るし、ネィティブが実際に使う生の単語が増えていくでしょう?ねえ、そうでしょう?
確かに、それは間違っていないんですよね。文脈で理解した単語は、印象に残り、したがって記憶にも残り、そしてそれは実際にネィティブの口から発せられたものなので、使える生の英語である、と。暴力を制止しようとするしずかちゃん並みに正しい。
んだが、しかし。
あえてしずかちゃんを制止す。
文脈的理解で語彙を習得するやり方であると、まともな量の語彙を身につけるのにめちゃくちゃ時間が掛かるのです。たとえ一つの番組を全部見たとしても、文脈的悟りで、得られる単語なんてそう多くありません。しかしまともな英語力を身につけようと思えば、語彙が1万とか2万必要になってきます。そんな膨大な数を文脈的悟りで得ようと思えば、いったいどれだけの時間が必要に・・・
ある人が、毎日、海外の動画を1時間観る習慣を作り、文脈的悟りで語彙をコツコツと増やしていった。1回の動画視聴で、平均3個、単語を悟った。その習慣を5年続けると、3×1825日=5475個覚えられる。(実際はすべて覚えていられるわけではないので、もっと少ない)
でも単語帳を使えば、約5500個なんて、1年と半年くらいしっかりやれば覚えられます。しかも動画を観るときのように、1日に1時間も割く必要がない。
- 作者: アルク英語出版編集部,阿川イチロヲ,小石裕子
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↑この2冊で6000個くらい。
単語帳で一気に覚えてしまった方が効率的なのです。
人生は有限だから。
なぜ単語帳暗記をゴリ押しするようになったか
どうしてこんな考えを持つようになったか、最後に少し書いておこうと思います。
英語の長文を読んで、わからない単語にマーカーで線を引いて、意味を辞書で調べて、熱心に覚えている人がよくいます。学校の宿題とかだと思いますが、大学の図書館や街のカフェでこんな感じで勉強をしている女子(だけじゃないんですが、なんか多い気がするので、笑)もけっこう多いです。
そういう人たちを見ていて、そして、自分もそういう勉強の仕方をしていて、思ったんです。
「マーカーで線を引いて、辞書で調べて、意味を書き込む」って作業、時間取りすぎじゃね?
「マーカーで線を引いて、辞書で調べて、意味を書き込んで、それを定期的に眺めて語彙を増やしていく」っていうやり方、無駄に時間掛けてね?
と。
単語、発音、意味、使い方をわかりやすくきれいに並べてくれた単語帳で一気に語彙を増やしてしまえば、そんな無駄な作業しなくてもよいじゃないか、と。
それは、動画の勉強でも同じことですよね。「今この人が言った言葉はどんな意味だろう?」と悩んだり、巻き戻して聴き直したり、あるいは音から辞書で調べてみたり・・・こういうのって、無駄な動きの多い、武術みたいで・・・
いや、こういう無駄な過程こそが英語学習の楽しみ、とも言えるんでしょうかね?
よくわかんね。
海外の人と話すとき、ひたすら笑顔で良いことしか言わない
海外の人(英語圏の人)はひたすらポジティブなんだだろっていうイメージがあるのか、日本語の時は『ちびまる子ちゃん』に出てくる野口笑子さんみたいに平板としているのに、ネィティブの人と話し出すと急にイモトアヤコ化する人が多い印象があります。
なぜ日本人は、ネィティブと話し出すとイモトアヤコ化するのかーー
考えられる原因を二つ、挙げてみました。
一つ目。
・上でもちょろっと触れたように、ネィティブスピーカーは、底抜けポジティブなイメージがあり、ゲロを吐いても、「やったわ!もう一度食べられるっ」って考えるくらい前向きであると思っている。そんな彼ら、彼女らの属性に頑張って合わせている。
二つ目。
・英語力がないゆえに、言いたいことがほとんど言えず、とりあえず関係を悪化させないために、「yeah〜!very very good!」のようなポジティブワードを笑顔で連発している。
二つ目のような理由であるならば、別に良いと思うんです。そういう「言いたいことが言えない場合」や、「そもそも言うことがない、思いつかない、という場合」は、日本語でも「中身のないフレーズの連発」と「身体による感情表現」に逃げるということはよくあると思うんです。
例えば、ニュース系テレビ番組に出ているコメンテーターが自分のよく知らないことについて、コメントを求められた場合。そういう言論のプロの人たちを見ていても、なけなしの知識と見解を披露した後は、言うことがなくなり、間を持たせるために、「ほんとにね〜、けしからんですよ」、「まったく、ダメですね」、「開いた口がふさがりませんね」、みたいなフレーズの連発で逃げているなと思うことはよくあります。
このように日本語でもあるわけですから、英語であればなおさらだと思います。
問題は二つ目。
「・・・ネィティブスピーカーは、底抜けポジティブなイメージがあり、ゲロを吐いても、「やったわ!もう一度食べられるっ」って考えるくらい前向きであると思っている。そんな彼ら、彼女らの属性に頑張って合わせている。」
これはいかんです。大阪のおばちゃんを見て「日本人はみんなポジティブでハイテンションなんだ」と思うようなもんです。 そういう偏ったイメージに基づいて、ゲロを吐いた人に対して「あんただいじょぶかいな〜!!あはははははははっっ」と爆笑して、その人の背中をポンポンと叩くーー
最悪の場合、打たれます。
話が少しズレてきました。本題に戻します。ここでの力点は、そういう間違った、もしくは誇張されたイメージの払拭にあるのではありません。
英語でコミュニケーションを取る際の態度にあります。
人が雄弁になるとき
ポジティブトーキングの問題点は、「ありきたりな表現の連発」になりがちなところです。
「あの人は良いですよ」
「親切です」
「あの場所は良かったですね」
「美味しかったです」
ほとんどgoodで済ませてしまう・・・みたいな。
goodに逃げていては、語学力は伸びません。いろいろな表現を自分で使ってみて、失敗して、言い直して、そうやってゆっくりと力は伸びていきます。
goodに逃げていては、その成長機会を失うことになります。
じゃあbadが良いのか?
そうだよっ、オレはネガティブが好きなんだよっ!!
なぜbadのような非ポジティブワードが良いかと言うと、そういうものを会話に投下するとですね、会話が広がるからです。
bad?
どうしてbad?
badならどうすればいい?
カフェでおしゃべりをしているおばちゃんグループを想像してみるとよくわかります。何かをほめて、良い感じになっているグループよりも、何か(誰か)の問題点を論って(あげつらって)いるグループの会話の方が密度が高く、描写が細やかで、語彙が豊かだと思いませんか。
「そやそや、あんたはぜんぜん悪ない。無罪潔白や。一回弁護士さんに相談してみたええねん」
「あたしかて、たいがいのことは我慢するけど、今回はさすがにかんにん袋の緒が切れたわっ」
「自分の脱いだ靴下くらい、自分で洗濯機入れとけっちゅーねん」
また、街頭などにおける人の集団。
金メダルを取ったオリンピック選手を迎えるポジティブな人の集団から発せられる言葉は、ありきたりなもので、そして、そこから何かに発展する、ということも多くありません。
しかし、国会議事堂前に集まるデモ集団は、あらゆる比喩、語彙、ことわざ、を駆使して、思いを表現します。
実は、これと似たようなことは、あるロシアの文豪がすでにずっと前に自身の小説の中に書いました。
「幸福な家庭はすべて互いに似かよったものであり、不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっているものである。」
(『アンナ・カレーニナ(上)』木村浩訳 新潮文庫 冒頭より)
ほなまた♪